「あ、いけね…。」
ベッドでゴロゴロしていたハボックはおもむろに起き上がった。
煙草の灰が落ちそうになり、慌ててチェストの灰皿を手繰り寄せる。
「明日早いって言ってたけど、何時に起こせばいいか聞くの忘れたなぁ…。」
寝起きの悪いロイの仏頂面を思い出し、朝っぱらから嫌味な上官の相手をしなければならない彼に心の中で合掌する。
しかし、上官の前では決して見せないその表情を、自分には見せてくれる優越感。
ちょっとした充実感に浸り、顔を綻ばせる。
一気に煙を吸い込んで、短くなった煙草を灰皿に押し付け火を消した。
「大佐。…たーいーさーぁ。」
ノックをしても呼びかけても返事は無く。
ロイの部屋の鍵はかかっている。
「…っかしーなぁ。寝てんのか?」
寝るにはまだ早い時間。
もしも、そうでないとしたら…。
最悪の事態でない事を信じてもいない神に祈り、気を引き締めた。
合鍵でロックを外す。部屋の中は真っ暗だった。
気配を窺ってみるも、人がいる様子は無い。
明かりを点けると、自分に用意されている部屋よりも随分と豪華な部屋が広がった。
「…比べる方がお門違いだけど…ちょっとヘコむな…。」
見た限り争った痕跡も荒らされた様子も無し。
第一このホテルは軍の息がしっかりとかかっており、その上今は東方司令部の大佐が泊まっている。
警備は通常以上に厳重で、不審人物もそうでない者も階上まで来られるはずがない。
己の想像が杞憂に終ったとみて、詰めていた息を吐き出した。
しかし、この部屋にいるはずの上司が行方不明なのは紛れもない事実。
脱ぎ捨てられた軍服は無造作にベッドへ放られ、発火布は見当たらない。
シャワーを使った痕跡を発見。
「…まーた勝手に外、行っちまったのか?しょーがねーなあの人は…。」
殆ど無意識に煙草に手が行き、取り敢えず銜えて溜息を吐く。
火を点けようとポケットを弄ると、残り少なくなったマッチが音を立てた。
――…ひょっとして…?
妖しい店名のロゴを、ハボックはしげしげと眺めた。
「ねぇお兄さん、遊んでかない?」
「あー、悪いけど他あたって。」
何度目かの客引きのおねぇさんを軽くあしらい、暗い路地を進む。
そこらに屯っていたチンピラに道を聞いたところ現金を要求されたが、鉄拳制裁を食らわせると親切にも目的地まで案内してくれた。
――“デビルズネスト”…ねぇ。
いかにも悪い人たちが常連さんです、というような佇まい。
本当にこんな所に自分の上司がいるのか疑わしいものだが。
「よお。」
声を掛けられ、ゆっくりと振り返る。
放置された木箱に、髪をオールバックに撫で付けた男が腰掛けていた。
「もしかして、ロイとか言う黒髪のあんちゃん探してたりするか?」
ハボックの疑問は確信に変わり、その男を鋭く睨め付けた。
「おっと、勘違いすんなよ。向こうから店に来たんだ、。散々上司の愚痴ぶちまけて盛り上がったのなんの。」
その様子を思い出したようにくつくつと笑う。
「…そりゃ、迷惑かけたな。」
相手の飄々とした態度を受けてもなお、男への警戒は微塵も解かれない。
「危害をくわえるような真似はしねえから安心しな。第一、軍人の行方不明事件でも起きて厳戒令でも布かれたら、こっちがやりにくくなる。」
僅かにハボックが動揺したのを目に留め、男はしてやったり顔でにやりと笑った。
今のハボックは勿論、ロイも私服で外出しているはずで。
国家錬金術師の証である銀時計は軍服の中にあった。
ハボックの場合は体格でそれとなく分かるかもしれないが、ロイの場合はとても軍人には見えない。
それでも、ひとたび軍服を着れば様になるから不思議だ。
「匂い、だよ。俺は鼻が良くてな。」
怪訝そうな顔をするハボックに、あっさりと種明かしをしてみせる。
「もっとも、ロイって奴のことは仲間が知ってたから分かったんだけどな。」
男は懐をまさぐり、煙管をと例のマッチを取り出した。
やはりこの店の関係者らしい。
「あんたのことも、だいたい分かる。主が行く所ならどこにだってついて行っちまう、忠犬タイプ。」
マッチで火をおこし、煙管をふかせた。
「で、愛煙家。」
無意識に煙草に手が伸びていて、当たっているところが多々あることに憮然とした面持ちになる。
相手と同じマッチ箱を取り出すも、こちらの中身は空だった。
「ま、俺とあんたは似たもの同士ってことだ。」
ぷかぷかと器用に煙の輪を作る。
――くっそー…。うまそうに吸いやがって…。
火の無い煙草をもてあそび、ハボックは自分のスモーカーぶりを恨んだ。
ふと、男がハボックの持つ箱に気付く。
「それ、ここのか?そっちもなかなか鼻が利くんだな。」
「…そりゃあ、俺のボスに何かあったら一大事だからな。」
無いよりはましと、火をつけないまま煙草を銜え、空のマッチ箱を握りつぶした。
潰れた紙くずを無造作に放り投げる。
「だから、心配するなって。グリードさんのモンに手ェ出す奴は俺の仲間内にはいない。」
「……“グリード”?」
「俺の主人だよ。それにあの人は強欲だからな。中途半端に手にするんじゃ満足しない。だから無体なことはしないだろうよ。」
これしきの説明でハボックの疑惑の眼が消えないのは当然のことで。
その忠犬ぶりに一笑した。
ハボックに自分の使ったマッチ箱を投げてよこす。
「ま、使えや。そういや自己紹介が遅れたな。ドルチェットってんだ。」
「……俺は…ハボック。」
「ハボックね。まあ、犬同士仲良くしようや。」
訝しがりながらも、ありがたく火を貰った。
* * *
「――ってグリードさんが言ってくれたわけよ。」
「いやいや、俺もいい話持ってるぜー。聞いてくれよドルチェット。」
デビルズネストのまん前で、二人の男が何事か熱く語り合っている。
「……で、人使い荒いけど何だかんだで優しいんだこれが。」
「お互い良い主人持ったなぁ、ハボック。まったく、犬冥利に尽きるってもんだ!」
ハボックとドルチェットはいつの間にやら意気投合し、座り込んで己の主の自慢大会を開いていた。
――…ちょっと待て。
何話し込んでるんだ俺!!
ふと我に返ったハボックは、目の前で煙管をふかすドルチェットをしげしげと眺める。
どうにも同じ穴の狢な感覚を覚え、他人のような気がしない。
「…まぁ、お前が一応真の悪人でないことは分かった。」
取り敢えず立ち上がり、同じ体勢でいたせいで固まった体を伸ばす。
「本当に無事で帰してくれるんだろうな…!?」
「ん?ああ、それは大丈夫だ。」
大分ドルチェットに心を許し、短い間ながら散々語り合ったとはいえ、ロイのこととなれば話は別だ。
いつもの茫洋とした雰囲気からは想像できない程冷たい眼で見据え、低く言い放つ。
「もし朝になっても戻ってこなかったら…、機関銃持って乗り込むから覚悟しておけよ…!」
有無を言わせぬハボックの迫力にも、ドルチェットは不敵に笑んでみせた。
「あんたも飲みたきゃいつでも来な。」
数瞬の間を置いて、ハボックは背をむける。
高い背が小さくなっていくのを、ドルチェットは見送った。
――向こうが何もする気がないんなら、いいか。やっぱ追っ手ってわけじゃないみたいだし。
まぁ、俺らの正体知らないんだから当たり前だろうけどな。
吐き出したドーナツ状の煙が崩れていく様を、じっと見詰めていた。
2005/09/25忠犬愛煙家コンビ。仲良くやれそうです。