軍が用意したホテル。それだけで何となく気が滅入りそうになる。
すっかり見慣れてしまったその廊下を、ロイとハボックが歩いていた。
「それにしても、今日も今日であのオッサンの小言すごかったっすねー。とうとうセクハラ紛いの発言まで飛び出しましたよ。」
オッサン…もとい、ダブリス支部司令官の下卑た表情を思い出し、ハボックは苦虫を噛み潰したように顔を歪め、煙草のフィルターをかじった。
「それだけが能の御老体だ。労わってやろうではないか。」
嫌味になど頓着無いといった様に、ハボックはさすがだなとひとりごちる。
特に早くに大佐の地位についているロイの場合、いちいち気にしていたら胃がいくつあっても足りないだろう。
「あんだけ言われりゃ、訴えれば勝てるんじゃないっスかね。」
「確かに、勝算はありそうだ。ヒューズに手を回してもらえば確実だろうな。」
違いない、と談笑しているうちに、ロイの部屋までたどり着く。
「んじゃ、明日も起こしに行きますから。…一度でいいからきっちり着替えて出迎えてくれると嬉しいんスけどね。」
「あー分かった分かった。お前もさっさと休め。」
ぞんざいながらもしっかりと労いの言葉をもらい、ハボックはロイが部屋の鍵を掛けるのを見届け、同じフロアにある幾分ランク下の自室に引き返した。
いつものように軍服を脱ぎ捨て、備え付けのシャワーを浴びる。
たっぷりと浴びたあとタオルで髪を拭い、一息ついた。
「あんの腐れジジイっ!!」
床に叩きつけたタオルは軽すぎて、微妙に実感が湧いてこない。
本人の前は勿論、ハボックの前では余裕ぶってはみたものの、やはり腹に据えかねた。
もう一度長く息を吐き出して、落ち着ける。
上官への些細な一言が自分の地位を危うくしかねない。
それを思えば、罵詈雑言など幾らでも耐えられる。
――…こんな時は飲むに限るな。
ホテルのバーなら護衛も必要ないだろうと、ロイはせかせかと着替え始める。
「……待てよ…?」
軍が取ったホテルとなれば、軍の息がかかっているだろうことは想像に難くない。
となれば顔見知りに遭遇してしまう確率も高く、それがダブリス支部の人間ともなれば更に気が滅入る。
――いただけないな…。
ふと、暗闇に溶け込むように消えていった背中を思い出した。
ハボックには悪いがまたもホテルを抜け出し、記憶を頼りに今度は誰に絡まれるでもなくたどり着いた。
暗い入り口と、デビルズネストの看板を見上げる。
「兄ちゃん、何か用かい?」
店の前に座り込む柄の悪い男に声を掛けられた。
看板と男を交互に眺める。
――どう見てもカタギじゃないよなぁ…。
…何故私はこんな所にいるんだろう。
夢から覚めたようにだんだん冷静になってくる。
男との睨めっこにも飽きて他の店で飲もうかと思ったとき、
「……ロイさん?」
聞き覚えのある声。
「マーテルさん、知り合いですか?」
一目置かれているらしいマーテルの顔見知りだと分かると、男はロイへの警戒を解いて傍観に入った。
「まぁね。ああ、グリードさんなら今いないけど?」
「べ…別に彼に会いにきたわけでは…。」
僅かに動揺したのを目に留め、マーテルはロイに分からない程度に苦笑する。
「じゃあ、取り敢えず飲んでく?」
ためらいがちにも頷いたロイを、笑いを堪えながら招き入れた。
「よーお前ら。何か変わったことなかったか?」
「あ、グリードさん、お帰んなさい。」
今朝方ふらりと外出したグリードが、同じようにふらりと帰ってきた。
そんないつもの調子のグリードに、男もいつものように軽い調子で答えた。
「グリードさんにお客、来てますよ。」
「客?」
すでに酒盛りが始まっているらしく、笑い声やら話し声が聞こえてきた。
ふと心当たりを思い出して、グリードは口角を持ち上げる。
…が、しかし。
「だーれが…貴様の××××をなど×××って×××××なんてするかぁ!!あの×××野郎!!!」
一気に煽ったグラスをテーブルに叩き置き、周りから歓声が上がる。
案の定グリードの目的の人物であるロイだった。
すっかり仲間たちと打ち解け、杯を酌み交わしている。
放送禁止用語の連発に、さしものグリードも笑みを引き攣らせた。
「…おー…。酔い方もすごいが、そのセクハラ飛び越して犯罪的な台詞も凄まじいな…。上司にでも言われたか?」
「酔ってなんかいにゃい!」
グリードを目に留めたロイが反論するも、呂律が回っていない。
実際にはそこまで直球ではないだろうが、要約するとそんな意味合いになるのだろう。
既にロイの隣に陣取っていたビドーから席を奪い腰掛けると、ロイからグラスを押し付けられる。
「おまへも飲め強欲のっ!わたしの酒がのめんのかっ!」
立派な絡み酒であることに、本物の酔いどれは気付かない。
グリードは有難く頂戴して、酒を煽った。
「いい具合に出来上がっちまってまぁ。それにしてもよく迷子にならなかったな。えらいぞー」
がしがし頭をかき回してやると、じろりと流し目で睨まれる。
「ばかにするな。私をいくつだとおもっているのだっ!」
元が童顔で酔いで表情も引き締まらない上、呂律さえ回らない今となっては睨んでも全く効果は無く。
本当に年齢が推し量れない。
「幾つだよ?」
「ぴちぴちの29歳だ!まいったか!」
参ったか、と言われても困るが。
手の付けられない酔いどれと化したロイに、グリードは成程と神妙に頷いてみせる。
「…で、何歳だって?」
「どー見てもりっぱな29歳ではないか」
――見えねぇから聞いたんだっての…。
デジャヴを感じながらひとりごちるグリードに構わず、ロイは彼の顔をまじまじと凝視する。
「そーいう強欲のはいくつだ?」
「俺?あー…200と…幾つくらいだっけなぁ…?」
特に誤魔化すでもなく、久方ぶりに実年齢について悩んでみる。
こればかりは誰かに聞けば分かるというものではない。
訊ねる相手が彼の“兄弟”や“親”でなければの話だが。
「ケタが一つちがうではないか!酔っ払いをからかうな!」
疑いの眼を向けるロイに、グリードは苦笑した。
思考を寸断されたが、彼にとってはどうでもいいことだった。
「自分で酔っ払いって認めてんじゃねーか。」
けたけた笑うグリードにロイは首を傾げるも、そのままノリで宴会は続けられたのだった。
一人、また一人夢の世界へ誘われ、先程までの喧騒が幻だったかのように静まり返る。
そこかしこで聞こえる高いびきと、散乱した空っぽの酒瓶がその名残を示していた。
「…で、こいつ何のために来たんだ?」
ロイも酔い潰れメンバーの一人で、グリードにもたれるようにして寝息を立てている。
さり気なく、彼の腕はロイの肩に回されていた。
酒をほどほどに切り上げていたマーテルが大雑把に辺りを片付けながら応える。
「女性関係で左遷された上司への愚痴でもぶちまけにきたんじゃないですか?」
「…なんだよ。俺に会いに来たんじゃねーのかよ。」
実際ロイは上司らしき人物への暴言を吐きまくっていた。
指摘され、グリードは拗ねたように唇を尖らせる。
マーテルは訪ねてきたロイの様子を思い出し、含み笑いを浮かべた。
「さぁ…。本人に聞いてみたらどうです?ついでに、下で休ませてあげては?」
マーテルの言葉に、グリードはロイの顔を窺い見た。
表情の無い寝顔が、彼のあどけなさを際立たせる。
三十路前の男に“あどけない”はあんまりだが、こればかりは仕方が無い。
ロイが身じろぐのを見て、グリードは微笑んだ。
規則正しく優しい律動に、ロイの意識が呼び戻される。
――この感じ…前にどこかで…
背中の感触、預けた頭に当たるもの。
何より。
――髪…誰が…?
「よぉ、酔っ払い。」
最初に飛び込んできたものは、アメジストの瞳だった。
同じ部屋、同じ場所――。
「…またお前か。」
目覚めたばかりのぼやけた頭にも関わらず、自然と笑みがこぼれる。
「ひでえ言い草だな。」
グリードもくつくつと笑い返した。
「で、今自分がどんな状況か分かってんのか?」
「…酒の勢いに任せて変態上司への愚痴を吐きまくった…か?」
身を起こしながら答え、ソファに座りなおした。
酒が残っているせいか、頭が少しくらくらした。
「だいたい正解。でもって酔い潰れてこの俺の腕の中って寸法。」
くせの無い髪に指を挿し込み一撫でし、指から逃げるようにすべる髪を目で追った。
「それでロイさんよ。何しに来たんだ?」
「…それは勿論、ストレス発散もかねて飲みに。」
「飲むだけならもっと良心的な店くらいいくらでもあるだろ。」
それを言われてはぐうの音も出ない。
「……借りを返しに。」
「別れ際に不意打ちで唇奪うような男にわざわざ…か?」
顔を覗き込んでくるグリードを避けるように、ロイは視線を外す。
顔に朱が差しているのは、アルコールのせいだけでないのは明らかで。
「ロイ。」
低く呼ばれ、赤紫の瞳が近づいた。
次の瞬間、グリードの顔と冷たい天井が視界に広がる。
「俺は強欲だからよ。体だけ手に入れたって満足できねえんだ。」
漆黒の瞳に不快感が無いのを見、目を細めた。
「貸し借りだけじゃねえって、自惚れさせてもらうぜ…?」
「…グリード…。」
軽く、ロイに口付ける。
抵抗が無いのを見て、グリードは思い出し笑いを噛み締める。
ロイが怪訝そうな顔をすると、
「頭突きは勘弁してくれよな。」
ムッとして頬を膨らませると、ロイはグリードの頬を軽くつねった。
2005/09/18酔いどれのロイを書くのが楽しかった…。