大神

英雄覚醒 2


「クソ…!」
 二対一の不利に加えて相手は空から攻撃をしかけてくる。
 その上飛び道具ばかり行使してくるため、躱すことでしか立ち回れずにオキクルミは悪態をついた。
 側面に回りこんでやろうと足を踏み出すも、読まれていたのか今まさに足をつこうとした位置に妖樹弾を撃ち込まれて急ブレーキをかけた。
 その動きを止めた絶妙なタイミングでもう一体が氷柱を射掛ける。
 あわやオキクルミを串刺しにするところだったが、体を傾いで上手いこと射撃の隙間にすべり込んだ。
 しかしその代償に着物を貫かれ、背後の岸壁に縫い付けられてしまった。
 磔にされて身動きが取れないオキクルミにむけて機械仕掛けの爪が開かれる。
 爪で掴んで絞め殺すのか、空高くから地面に突き落とすのか、無機質で大きな眼からは何も読み取れない。

 魔神が滑空を開始しようと動きを止めたその刹那、無防備な胴体をめざして飛翔する矢があった。
 それは高い音をたててコタネチクの腹部に当たったが、矢は文字盤とからくりの継ぎ目に突き刺さり大した痛手は負わせられなかった。
 矢継ぎ早に第二の矢が射かけられ、それをひと羽ばたきしてかわした銀色魔神がオキクルミの直線上から退く。
「サマイクル!」
 一本目の矢が刺さりオキクルミが矢の飛んできた方を見るころには、サマイクルはすでに三の矢をつがえていた。
 三本目、四本目と適当に空へ射ち込んで双魔神を散らし、二体を引き離す。
「呆けておらんでさっさと抜け出さんか!」
 隙を見てオキクルミに駆け寄って、再会を喜ぶ間もなく腰の長刀を抜いた。
 二人もろとも串刺しにしてやろうと放たれる氷柱や妖樹弾を、今度はサマイクルが身を呈して叩き落す。
 オキクルミも磔から逃れようと必死にもがくが、カイポクの織った生地は相当に丈夫で、易々とは裂けてくれない。
 脱いでしまおうにも微妙な体勢の上に、絶妙なポイントで突き刺さった氷柱に縫いとめられて、上手く身動きが取れなかった。
「まだか、オキクルミ!」

 焦れたサマイクルがオキクルミに振り返る。
 目の前を風が吹き抜けたと思ったら、サマイクルが消えていた。


 魔神のどちらなのかという認識は、突然のことに破棄された。
 風が通り抜けた方を見ると、サマイクルは魔神の大きな爪で手籠めにされて高いところへ昇っていた。
 横から空にさらわれたのだと理解した時には、すでに降下を始める寸前だった。
 壁に縫われ、空に捕まり、サマイクルの驚きに見開かれた眼が己の迂闊さを責める色を帯びるのを見た。
 「やめろ」と叫ぶより早く十分な加速をつけた魔神は急旋回してサマイクルをはじき飛ばし、岸壁に叩き付けた。
 鈍い音がした。
 背中を打ち付けて息が詰まり、ヒュッと短く喉が鳴る。そのまま地面に崩れ落ちる。
 その一部始終をオキクルミはなすすべもなく見ていた。全てを聞いていた。


「サマイクル!!」
 倒れ伏したまま反応がない。どこかにぶつけたのか、頭の埋もれる雪が赤く染まっている。
 色のない雪に散る鮮やかな赤、その上に広がる艶やかな黒髪が強烈に目に焼きつく。
 サマイクルから少し離れたところにも、同じような染みがあった。
 長老が横たわっていたところだった。

 ――血

 赤いものが何なのか唐突に脳裏をかすめ、気がふれたようにめちゃめちゃに体をよじった。
 オキクルミの猛りに呼応するように衣服と氷柱がこすれてようやく切れ目ができる。
 その小さな音はオキクルミの頭に血がのぼりきった音にも聞こえ、あとは突き進むだけだった。
 引っ張られる着物が肩に食い込み、肌を擦ってじりじり痛むのも頭に伝わらない。
 あれほどに強固だった布地が盛大に引き裂かれてオキクルミを解き放った。
 行かせまいとするように背後から魔神が飛び掛ってくる。
 剣を盾にいなしてかわしたが、当たり所が悪かったのか肉厚な大刀を真っ二つに砕かれる。
 その長年愛用した剣の残骸を放り捨てることも厭わなかった。
 ただひたすら雪の上から友を抱き起こしてやりたかった。

 しかしそれは今一歩もところでかなわない。もう一歩だけ踏み出せればサマイクルに触れられるところだった。
 激昂して周りが見えなくなっていたオキクルミは、正面から突っ込んでくるもう一体の魔神にさえ気付けなかった。
 伸ばされた手はむなしく空を切り、腹をがっちりとつかまれて空へと運ばれる。
「くそお!!」
 何度目かの悪態をついて魔神の冷たい爪に拳を叩きつける。殴っても引っ掻いてもゆるむ気配はみられない。
 オキクルミもサマイクルのように空から叩きつけるつもりなのだろう。
 己の失態を呪った。ひと羽ばたきごとに地面が遠くなる。その時間がやけに遅く感じられた。

 諦めに閉ざされそうになった目の端に、羽根が映った。猛禽の羽でできた矢羽だった。
 巻き戻される記憶の中に、弓を構えたサマイクルがいる。
 銀色魔神に刺さったままになっていた一本の矢。
 手を伸ばすとサマイクルに届かなかったのが嘘のように手にすることが出来た。
 まるでこの時のためにあつらえられたように、すんなりと引き抜かれてくれる。
 大きく振りかぶって、祈った。

 ――空と土と海の…特に今は空の精霊よ!!

 剥き出しのからくりに勢いをつけて突き入れた。
 歯車の隙間を縫って矢の長さが許す限り奥まで侵入し、どこかに刺さる手ごたえを感じる。
 大きな歯車に負けて矢の棒は砕かれたが、鋭い矢尻はその先の中心に近い小さな歯車に挟まって動きを封じ込めた。
 片方の足がだらりと開いてオキクルミを開放し、動揺して緩んだもう一方の足からも抜け出して飛び降りた。
 下にいた黄金魔神を踏み台にして落下距離を短縮し、獣のようにしなやかに体をひねって地上に舞い戻る。
 すぐさまサマイクルを背に庇い立ち、落ちていた彼の長刀を拾い上げて双魔神を睨みあげた。
 黄金魔神がぎこちない動きをする片割れを覗き込むように近寄る。
 それなりに深刻な事態になっているのか、やがて銀色魔神はオキクルミに背を向けた。
 よたよたと飛ぶコタネチクに寄り添うようにモシレチクも後を追いかけた。
 あっけない幕切れに拍子抜けするオキクルミが残される。
 しかしとても勝利とは呼べず、見逃してもらったようなものとオキクルミは歯を噛んだ。
 矜持を打ち砕かれ、見えなくなるまで双魔神の後姿を睨み続けていた。


 サマイクルが目を開くと、オキクルミのひどく安堵したような、普段見せないような瞳とぶつかった。
 身を起こそうとして全身を鈍痛が襲い、それよりも額に走った鋭い痛みに呻き声をあげる。
「無理はするな。ようやく血止めができたところだ。」
 今更ながらオキクルミが額に布を押し当ててくれていたことに気付いた。手伝われて身を起こすと頭がくらくらする。
 額からの出血は派手なものと相場が決まっているが、血を吸った布や雪の惨状に本当に自分のものなのかと疑いたくなった。
 オキクルミを見ると羽織がぼろぼろになっている以外は無傷なようで、思った以上に深く切っているらしいと理解した。

「そうだ、双魔神はどうしたのだ!?」
 辺りを見回すサマイクルに訊ねられ、
「……逃げられた。」
 少し見栄をはってしまったが、先に退いたのは向こうの方だと自分に言い聞かせる。
 ほっとしたような、口惜しがるような、どこか複雑な面持ちでサマイクルは息を吐いた。
「助けにきたつもりが、かえって足を引っ張ってしまったようだな。」
「そんなことはない!」
 己の醜態に申し訳なさそうに目を伏せるのを、オキクルミは即時に否定した。
 昔から事の大小を問わず、真っ先に救いの手を差し伸べてくれるのはいつだってサマイクルだった。
 今日だけで二度も命を救われた。あの矢はサマイクルがお膳立てしてくれたのだとオキクルミは思う。

 礼を口にしようとしたところで突風にはばまれる。
 だがその風の様子がおかしい。治まるどころか、むしろだんだん激しさを増していく。
 それはあっという間に猛吹雪へと変貌をとげた。
「まさか魔神どもが!」
 思い通りにならなかった当て付けのような吹雪に憤りをあらわにして、オキクルミは魔神の去った空を睨みつける。
「ともかく、一度村へもどるぞオキクルミ。」
 一瞬だけ迷ったが同意して、サマイクルに視線を戻す。
 サマイクルは仮面の裏にべっとりとへばり付いた血を雪でこすり落としているところだった。
「傷は平気か?」
「面で隠れる、問題ない。」
 オキクルミの気遣いを流して面をかぶる。そういう問題ではないと言ってやりたかったがそんな場合でもなく。
 二人は一刻も早く村へ戻ろうと狼に姿を変えた。


3→



2007/05/05

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