大神

英雄覚醒 3


「……一体何が起きたというのだ!」
 戻ってこないサマイクルと突然の猛吹雪に気を揉んで、トゥスクルは思わず叫んだ。
 こういう時、待つだけの身が嫌になるが、飛び出していきたいのをぐっとこらえる。
 一刻などとうに過ぎていたものの、サマイクルの言いつけを守る気はなかった。
 二人が戻るまで門を閉ざしてたまるかと決意を胸にする。

 ふと子供の頃にもこんなことがあったことを思い出す。それを思い出したら、少しだけ心が軽くなった。
 か弱い子供の二人が帰ってきたのだから、今や村で一二を争う戦士の彼らが戻ってこないはずがない。
 それを裏付けるように遠くから駆けてくる二つの影を見つけて、トゥスクルはホッと胸を撫で下ろした。
 「遅いではないかサマイ…」
 ぼろぼろな二人に驚き、心配をかけた意趣返しもあって無茶をするなと説教を開始する。
 いつかのように泣かれるよりはいいかと二人が素直に聞いているところにカイポクが駆けてきた。
 今度は誰がいなくなったのかと身構えたが、
「お爺がサマイクルを呼んでるんだ。すぐに来て。」


 カイポクに連れられてケムシリ爺の家へ行くと、彼はぐったりとして床に横たわっていた。
 枕元にサマイクルを呼び、細い息で用向きを伝える。
 長老の言葉にサマイクルは目を丸くした。
「我が村長をせよと、そう言われるのか?」
 不在の間に取り決めたことに詫びを入れ、他の者との協議の結果でもあると告げる。
 村長不在の混乱の中、優れた統率力を開花させ発揮したのがサマイクルだった。
 今は前線に立って指揮をとれる頭が必要なのは分かっているが、自分にお鉢が回ってくるとは思わなかった。
 あっけに取られてなにも言えないでいるサマイクルに返事を促した。
「ワシはこのざまだッペ…」
 サマイクルの方へ首をめぐらせる。それだけで傷に響いて言葉にならなかった。
 その姿を見て黙っていられるような男ではない。長老に動かないようにといさめ、
「村のことはおまかせ下さい。長老は御身を自愛くださるよう。」
「頼んだッペ、サマイクル…。」
 満足そうに頷くと、すっと体の力を抜いた。

 カイポクが揺すり起こそうとするのを眠られただけだと制し、残された村の有力者の召集を頼む。
 就任の報告をかねて、さっそくこれからのことについて協議するらしい。
 彼は頑固者ではあるが、それゆえに人一倍に責任感が強く、正義漢だ。
 村を守るために尽力を惜しまないだろう。
 その光景を横目にオキクルミはそっと外に出た。相変わらずの吹雪が不気味に唸っている。
 サマイクルが村に縛られる以上、自分が動かねばという使命感があった。
 一つの気がかりから、自然と足がラヨチ湖のほうへ向く。
 門に鍵はまだかけられていなかった。見通しの悪さに辟易しつつもクトネシリカのもとへたどり着く。
 それは吹雪に負けることなく、何ら変わるところもなくそこに安置されていた。

“クトネシリカが青鈍色に輝く時 氷壁は砕かれ 天への道は拓かれん”



 この危機に触発されて思い起こされたのは、幼い頃の何気ないやりとり。
 確かに光を反射して刀身が鈍く光っているが、どう見ても青くはない。
 オキクルミがそれを言うと“救世の予言”なのだからこれから輝くのだとサマイクルに諭された。
 救世の予言ということは、平穏な今は光らないということなのだろうか。
『ほんとうに光るんだろうか。』
 懐疑的というよりも好奇心からたずねてみると、
『おまえは信じていないのか?』
 きょとんとして首を傾げていた。



「どうした、クトネシリカ」
 村の危機だ。
 魔神が目覚めた。
 この吹雪を見ろ。
 多くの同胞が死んだんだぞ。

 幼い頃の友人の姿が頭をかすめる。
「あいつは信じているんだ!なぜ輝こうとしない!!」
 激昂して怒鳴ったが、うんともすんとも言わない。それが当然のことで、どっと虚しさがこみ上げる。
 殴ってやりたくなったが、同じことだろうと拳を引っ込めた。

 その途端、ざわりとして空気が変わった。妖怪独特のいやな臭い。
 何体かの妖怪が近づいてくる。宝剣を狙ってきたのは明白だった。
 オキクルミ個人にとってはどうでもいい代物だが、自分の身を守るために腰の剣に手をのばす。
 柄を掴むはずが手ごたえがなく、魔神との戦いで砕かれたことを失念していた。
 オキクルミを囲むなまはげはじりじりと間合いを詰めてきて、今にも跳びかかろうとしていた。
 丸腰よりはましだろうと宝剣に手を伸ばすが早いか、立て札や大きな包丁を振り上げて襲い掛かってくる。
 クトネシリカを抜きざまになぎ払うと、なまはげは立て札ごと真っ二つになった。
「うおおおおおおおお!!!」
 咆哮を上げ、残りの妖怪に討ちかかっていった。

 ――こんなに鋭いものだったのか。

 鬼に金棒とはこのことかと哄笑をあげたくなる。

 ――いや、違うな。


 蘇るのは、宝剣にちょっかいを出して拳骨をもらうこともなくなっていた少年時代。
 やはりサマイクルと過ごしていたひととき。彼は相変わらず本を読んでいた。
 読書ばかりで楽しいのかとちゃかすと、勿論だとよどみなく答えられ、逆に勧められて閉口したものだった。
 端から端まで文字で埋まる紙の束など見る気も起きない。
 それ以上押し付けもせずにサマイクルは笑い、いつか物語に出てくるような英雄を見てみたいと彼らしい夢を語る。
『オキクルミもそう思わないか?』
 サマイクルが幼い日と変わらない、そして今も変わることのない澄んだ瞳で見上げてくる。
『俺は見るよりも――』



「俺がウエペケレの英雄になる。」


 すでに妖怪の気配はなかった。
 オキクルミの気迫に逃げ出したか、さもなくばその手の刃によって屠られていた。
「お前が“役目”を忘れたというのなら、俺が思い出させてやる。」
 未だ黙したまま語らないクトネシリカを、吹雪ふき荒れる天に仰ぎかざす。
「クトネシリカが青鈍色の光を宿すまで、俺は妖怪を斬り続ける!」
 吹雪がやんで朝日が顔を出すころには、オキクルミは宝剣と共に姿を消していた。



『俺は見るよりも“英雄”になる方に憧れるな。』
『オキクルミが?それはすごい!』
『戦士オキクルミの英雄譚、いつかおまえに読ませてやる。』
『ならば語り部は我が引き受けよう、楽しみにしているぞ。』



 幼い日に交わされた、ささいな夢の約束。
 英雄醒覚。
 英雄譚のはじまり。



2007/05/12

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