九龍妖魔學園紀

夷澤と響と神鳳と


 廊下の隅に人影をみとめて、神鳳は足を止めた。
 はて、こんな所をうろつく霊がいただろうか。
 新入りなのかと思い目を凝らしてみると、どうやらそれは生きた人間らしい。
 おまけにその小柄な人物には見覚えがあった。
「おや、君は確か夷澤と同じ組の…。」
 突然声をかけられて、響五葉は飛び上がって驚いた。
 恐る恐る振り返ってみて、声をかけたのが自分に危害を加えるような人物ではないと知り胸を撫で下ろす。
「神鳳先輩……。」
 目にたまった涙は、今しがた驚いたからというだけではないらしい。
 響、曰く――

 夷澤と遭遇→「いぢめる?」→ぶちっ→「望みどおりにしてやろうじゃねえか!!」→「うわあああん」

 …ということらしい。
 夷澤も虫の居所が悪かったのかもしれないが、いかんせん大人げない。
「それは災難でしたね。 困った夷澤です。」
 神鳳はぶたれたという頭を撫でさすってやった。
 小さいがコブになっているようだった。少しくせのある髪がかわいらしい。
 響はその心地よさにうっとりと目を細める。
 その様子に釣られて、神鳳はしばらくの間、響の頭を撫ぜ続けた。

 ――ああ、なんだかドキドキする…。

 頭を撫でられる度に、胸があたたかい気持ちで満ちていく。
 それがいっぱいになって、あふれてしまうんじゃないか。そう感じはじめたとき、
「…みつるお兄ちゃん…って呼びたいなぁ…。」
 口の方が先に限界がきて、思ったことをそのままこぼしてしまった。
 頭のあたたかな感触がぴたりと止まり、響ははっとなって口をつぐんだ。
 自分はなんて厚かましいことを言ったのだろう。
「あッ…ご、ごめんなさい! お兄ちゃ…じゃなくて、神鳳先輩には本当の妹さんがいるのにっ!」
 わたわたと腕を振り回して弁明する響を、当の神鳳はきょとんとした表情で眺めていた。
 そして、その必死な様に負けて、くすりと笑みをもらした。
「僕のことなら、好きによんでくれてかまいませんよ。」
 その言葉に今度は響がきょとんとして、すぐさま意味を察してぱっと目を輝かせた。
 そして照れたようにはにかんで、
「み、みつるお兄ちゃん」
「はい、なんですか?」
「えへへ…やったあ」
 くるくる変わる響の表情に、知らず知らず神鳳の顔もほころんでいた。


* * *


 所変わって、生徒会室。
 今は夷澤と神鳳の二人だけ。近頃は会議の前にこうして二人だけになることが多い。
 はっきりと宣言したわけではないが、阿門も双樹も二人のただならぬ関係を察して気を使っているらしい。
「夷澤はどうして響五葉に突っかかるんですか?」
 その甘美なひとときに響の名前が出て、夷澤はしかめっ面を隠そうともしない。
「何かこう…イライラするんすよ。 見てるだけでストレスたまるっつーか…」
 神鳳にしてみれば、見ているだけで心がなごむのだが。彼にはなにか気に障ることがあるらしい。
 夷澤を苛立たせる要因はなんなのか、今日響がぶたれた原因を思い返して、

「…夷澤は、僕をいじめるんですか…?」

 実践してみた。
 具体的には、なるだけ弱々しく、うつむきがちに夷澤を見上げてみた。
「どうです? 響を真似てみたんですが、イライラしました?」
「……ムラムラきました。」
 突然視界が回って、天井を背景に夷澤の顔が目の前にきて、神鳳は目をしばたかせた。
 手早く制服のボタンを外しにかかる夷澤を見て、ようやく状況を理解した。
 ソファに押し倒されて、のしかかられ、服を脱がされようとしている。
「夷澤! こんな所で何を始めるんですか!」
「神鳳サンが悪いんだからな。 ……苛めてやろうじゃないか。」
 耳元でささやかれて、神鳳はぞくりと身をすくませた。
 その隙に夷澤はシャツのボタンにとりかかる。制服のボタンがあと二つほど残っているが、問題はない。

 ――むしろ、それはそれで…

「こ、こら! やめなさ……ッ!」


* * *


 ――わ…うわー……。
 生徒会室の窓にはりつく小さな影が一つ。
 神鳳と別れた後、なんとなく彼のことが気になって、ちょっと生徒会室を覗いたら帰るつもりだったのだが…。
 とんでもないものを見てしまった。
 見てはいけないと分かっているが、目が離せない。
 止めたほうがいいのだろうかと悶々としていると、
「あら、あなた何かご用?」
 本日二度目の突然の声掛けにまたも飛び上がり、今度は同時に覗いていたことへの罪悪感もわき上がってくる。
「ご、ごめんなさいッ!」
 まさに脱兎のごとき逃げ足だった。
「変な子ねぇ。」
 小柄な男子生徒を見送って、双樹は見覚えがあるような気がすると首をひねった。
 まあ、大方自分のファンの子だろうとあたりをつける。
 双樹をのぞきにきて、突然の本人登場に驚いて逃げ出してしまった、というところだろう。
 彼女にはよくあることで、自説に納得しながら扉に手をかけた。


 その日の会議は家族会議の様相を呈し、夷澤への説教に終始するのだった。

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2008/11/02

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