――私を快く思わない輩がいることくらい、知ってはいるが…。
溜息を吐きながら、宛がわれたホテルの部屋でロイは分厚い軍服を脱ぎ捨てた。
――何もわざわざ南方司令部まで呼び出しておいて、ダブリスまで戻らせることはあるまいに。
南方司令部へ出張を命ぜられ、忙しい中ようやく時間を作って赴いたはいいが、実際の出張先は南方の管轄内にあるダブリスだった。
地味ながらストレスの溜まる嫌がらせだ。
私服に着替え終わり、綺麗に整えられたベッドに深く腰掛けて時計を眺める。
指針は夕刻近くを示しているが、夕食を摂るには大分早い。
――ヒマだな…。
何分急な嫌がらせ…もとい出張だったため、時間を潰せるような本も持ってきてはいない。
折角の観光地を散策しようにも、護衛として同行したハボックは徹夜明けの強行軍で、今頃はベッドに沈んでいるのが目に浮かぶ。ダブリス支部の司令官との談合中、よく耐えたと殊勲賞ものだ。
何もすることがないと分かると、時間の経過が遅くなったように感じる。
することが無ければ無いほど、何かすることがないか詮索してしまう。
堂々巡りの中、時計の秒針が刻む規則正しい音がいやに耳についた。
「まぁ、いいか。」
小さく呟かれた台詞は誰にも聞かれることはなく、練成陣の描かれた発火布を軍服から引っ張り出し、静かに部屋を後にした。
太陽が傾きかけているにも関わらず、観光業で成り立っているため大通りには人が溢れ賑わいを見せていた。
――さすがに南部は暑いな…。
ロイの属する東部も暑いことに変わりはないが、東部の乾いた空気に比べて南部はじっとりと暑い。
どのくらいの時間で戻ればバレずにすむかと時計を探るが。
「………。」
服のポケット全てを叩いてみるも、いつも持ち歩いている銀時計の感触が無い。
脱いだ軍服にそのまま忘れてきたらしい。
「…まぁ、いいか。」
銀時計で身分を証明しなければならないような事件に巻き込まれなければいい。
部屋を抜け出した時と同様の呟きは、人々の雑踏に掻き消されていった。
――……おかしい…、本屋を探していたはずなのにな…。
横目で辺りを窺いながら、ロイは眉を寄せた。
人々の賑わいも鳴りを潜めた幅の狭い道。
夕刻とはいえ、まだ日も明るい時間から地べたに酔っ払いが座り込んでおり、壁にもたれて数少ない通行人を眺めている男は完全に目が据わっている。
どこをどう通ったのか、明らかに善良な一般市民が来てはいけない地域に迷い込んでいた。
流石にそろそろ戻ろうと思ったとき、路地から一本の腕が伸びる。
しまったと思った時には薄暗い路地裏に引きずり込まれ、数人の男に取り囲まれていた。
「やあ、兄さん。道に迷ったのかい?」
「ものは相談だ。代金によっちゃ安全なトコロまで送ってやるけど?」
わざとらしいばかりの笑みで現金を要求してくる。ここで大人しく従ったところで無事ではすまないことは容易に想像がついた。
――…何だか、士官学校時代を思い出す自分が嫌だな…。
放課後の校舎裏、体育館裏、倉庫裏、etc…。
成績優秀な上、すでに国家資格まで会得していて何かと目立つロイを、上級生は理由を付けては呼び出した。
当然ながら、正当防衛と持ち前の弁論を盾に護身術で叩きのめした。
お陰で実践訓練でも相当な成績を収めることになったのは別の話。
そして「“気に入らない”という理由だけで上級生がロイを襲撃していたかは定かではない」とは同期にして親友であるヒューズの弁。
そんな経緯もあってロイは冷静に打開策を巡らせる。
相手は6人といったところか。しかしどこかに仲間が潜んでいるかも分からない。
発火布を使えば物の数ではないが、騒ぎを大きくして面倒ごとを起こすのは得策でない上、護衛も付けずにホテルを抜け出したことがバレてしまう。
逃走方向にいる2・3人を伸して、相手方が怯んだ隙に人通りの多いところまで走り抜く。
大まかな打開案を頭に描き、自分を取り囲む輩を見回すが…。
「……っ!?」
何故か感じる悪寒。
男たちの値踏みをするような視線が纏わり付く。
――財布の危機、生命の危機以上に、貞操の危機を感じるのは何故だろう…。
……勘違いだと思いたい。
しかもその感覚に既視感を感じる自分がやっぱり嫌だったりするロイだった。
何はともあれ、ここまで様々な危機を感じては遠慮する必要は皆無。
…とばかりに繰り出された膝蹴りは、男を黙らせるには一番手っ取り早い部位にヒットした。
有名すぎるほど有名な急所でありながら意外と外し易く、外せば相手が逆上してしまう危険が伴う金的だが、そこはロイも軍人である上に悲しいかな経験豊富だったりする。見事の一言だった。
ロイの一番近くにいたその男はもんどりうって倒れ、悶え苦しむ。
「…や…やってくれるじゃねーかよ兄さ…」
その様を見て縮み上がる己を叱咤しつつ相手は一人だと意気込むも、陳腐な脅し文句を最後まで言わせることなく今度は水月に蹴りを叩き込んだ。
咳き込みながら蹲る男を一瞥して内心舌を出す。悪いとは思わない。自業自得だ。
出来た包囲の穴へ駆け出そうと足を踏み出す。
だが。
「!!」
「へっ…覚悟しやがれ…」
先に倒れていた方の男に、足をつかまれる。
回復が思った以上に早かったようだ。ただ、顔からは脂汗が噴出しており喋るのも辛そうではあるが。
相手の攻撃を反射的に腕で防いだおかげで、まともにくらうのは辛うじて避けたものの、デスクワークが主のロイとの力の差は歴然で。惰性で弾き飛ばされ、壁に背を打ち付け壁にもたれて蹲る。
「手間かけさせやがって…。」
吐き捨てるように言い、仲間の一人が一歩足を踏み出してくる。
さすがにこれ以上は太刀打ちできないと悟ったロイは、そっとポケットの中の発火布に手を伸ばした。
「てめぇら何してやがる。」
突然、かけられる声。
「ここが誰の所有地か分かってんのか?勝手なことしてんじゃねーよ。」
見ると、男と女が立っている。
男はサングラスをかけており、人をおちょくったような雰囲気を醸し出している。
もう一人は髪を短く刈り上げた、唇が印象的な女性だった。
「てめっ…グリード!!」
男たちは色めき立ち、その場に一触即発の空気が流れる。
――成程、敵同士…か。
こういったならず者同士の小競り合いは珍しいことではない。
しかし、敵の敵が味方とは限らないのが現実だ。
今のロイにとって、この状況が有利に働くとは限らなかった。
そうこうしているうちに、2対5の乱闘が始まる。
一人はロイが逃げないように一歩下がった位置を陣取った。
どうあっても逃がしてくれる気はないようだ。
――それにあっちはたったの二人…
だが、その心配は必要ないらしい。
二人とも相当戦い慣れしているらしい動きを見せた。
「畜生!!」
人数で押しても分が悪いことに痺れを切らした男が、腰からナイフを引き抜く。
女に向かい、一直線に白刃が煌く。
「危な…!!」
ロイが叫ぶと同時に、分厚い刃が鈍い音をたてて割れた。
「おいおい気を付けろよ、マーテル。」
「あ…すみませんグリードさん…。」
ナイフとマーテルと呼ばれた女の間に入り、その刃を胸に受けたはずの男は何も無かったかのように振舞った。
砕けた破片が落ちる、金属音。
それを聞きながら男の口角が持ち上がるのを、ロイはどこかぼんやりと見詰めていた。
2005/08/11