セントラルシティの東地区。
謎の黒騎士を追うため、ライオネルを加えたナシェルたちは出立の準備に魔法屋へ立ち寄っていた。
と言っても、魔法を使えないナシェルは店内でただ待つだけなのは気が引けて、外で休んでいたいと言い繕う。
ティアは「あんたはそのままでも十分強いもんね」と納得してくれたが、ライオネルが訝しげな顔をしていたのには冷や汗が出た。
自分がハーフ・ビーストであると知られるわけにはいかない。
魔法屋に消える二人を見送り、しばらくすると目当ての魔法の担当者に声をかけるティアの快活な声が漏れ聞こえてくる。
二人を待つ間することもなくレナスの泉の縁に腰を下ろして、泉の傍らで永遠の愛を誓い合う若い恋人を見るともなしに眺めた。
そうして眺めるうちに自分とティアに置き換えて想像しているのに気が付いてナシェルは顔を赤らめた。
強引でがめつい所があるが、どこか憎めない活発な女の子。
陽気な笑顔にふと陰が差すのに気がついて、守ってあげたいと思い、同時にそれに気が付くほどに見つめていたのだと思い知った。
しかしそのティアがビースト・ハンターであるということがナシェルの心を重く沈ませる。
途方に暮れるような心持ちでため息をこぼしていると、聞き覚えのある声に呼ばわれた。
「ナシェルではありませんか」
買い物でもしていたのか、小包を抱えたアロンだった。
賢者などと大仰な二つ名を持つが、シティの兵士や市民には意外と気さくに慕われている好人物。
そして穏やかな外見からは想像もつかないが、賢者の肩書き通りにこの世界を代表するとさえ言われるほどの魔道士。
ライオネルを仲間に加えた謁見の間で挨拶程度に話しただけだが、ナシェルも彼に好感を持っており、気軽に言葉を交わした。
「奇遇ですね」
「西地区で買い物の帰りなんですよ」
柔和な笑みを浮かべてナシェルの隣に腰を下ろした。
西地区から帰るのにどうしてシティの反対側にある東地区にいるのかが疑問だが。
「僕はみんなの用事が終わるのを待っているところです」
ティアとライオネルが魔法屋にいる旨を伝えると、二人の姿が見えないことに納得し、次いで不思議そうな顔をした。
「君は入らなくていいんですか?」
「僕は魔法を使えないんですよ」
至極当然な質問に何の気なしに答えたが、
『ナシェル!』
陰から聞こえる母バーバラの叱責の声を聴いて、失敗したと後悔した。
先に用を済ませてしまったとか、他に言い様はいくらでもあったのに。
気を許しすぎていた。気にせずに話題を流してくれるだろうか。
しかしライオネルですらナシェルに疑惑を抱いていたのだ。彼の師であるアロンが疑いを持たないはずがない。
ほんの数秒の沈黙が重い。話題を変えようにも頭がうまく回らずもどかしい。
沈黙を破ったのはアロンで、その声音は思いのほか真摯なものだった。
「ナシェル、今我々の会話を聞く者はだれもいません。だから、本当のことを話してほしい」
そう前置きして、アロンはナシェルを見つめる。
「君は獣人なのではありませんか」
鎌をかけるふうでなく、確信した上での質問。ごまかしはきかないだろう。
そもそもナシェルは弁が立つほうではないし、アロンの静謐な瞳に見つめられては隠し事などできそうにない。
「……母が獣人です」
多少ためらいながらも低く声を絞り出す。
獣人の革は高く売れるんですよ。
そう言い放った村人思い出してナシェルの心がささくれる。
「センターに獣人は剥がされた皮しか入ってはいけないとでも?」
衝動を抑えきれずに嫌味とともにアロンをにらみつけた。
が、にらみつけた先の顔にナシェルは拍子抜けしてしまう。
「母が、ということは、父君は人間ということですか?」
喜色満面の面持ちで目を輝かせるアロンに尻込みながらも頷くと、矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。
「では君はハーフ・ビーストなんですね?」
「はい……父には会ったことがありませんが」
「話に聞いたことはありましたが本当に会えるなんて……。ナシェルはどうして旅を?」
「村の掟で……」
そうして質問を繰り返すうちに、ナシェルの竦んだ様子に気が付いてアロンは顔を赤らめた。
「すみません、嬉しくてつい…」
「嬉しい?」
確かに獣人に対する尋問という雰囲気ではなかったが。
それでも人間の世界を旅してきて、人間の獣人に対する感情を知った今では疑念をぬぐえない。
そんなナシェルの心情を察し、アロンは喜色の表情に篤実な色を宿して告げる。
「私は人間と獣人が友情や愛情を交し合う、そんな世がおとずれることを願っています」
意外な言葉にナシェルは目を見張った。
「だからいま君がここにいて、私と話をしているということが嬉しいんです」
真情を吐露したアロンは暖かい慈愛のこもった眼差しをナシェルに向けた。
とても偽りの言葉を吐いたとは思えない。
それにナシェルを捕らえるつもりなら、彼ならとっくにそれができているはずなのだから。
そこでつい先ほど吐いた嫌味を思い出して身を縮こめた。
「ごめんなさい、さっきあんなこと……」
恐縮しきるナシェルにアロンは、そう言われるのも仕方がないと顔を曇らせた。
「願うだけでは何もかわらない。けれど私には少しずつ獣人への不信を払拭していくことしかできないのです」
アロンの地位と権力を行使すれば政令の一つや二つ発することができるだろう。
しかし意にそぐわず強制されるものは人心に響かず、かえって反感を強めるだけに終わってしまう。
一度戦争までして根付かせてしまった感情を覆すことは、アロンの力を持ってしても難しい。
「なにかきっかけでもあれば、この停滞を打破できるのかもしれませんが……」
その糸口すら見つからないとアロンは力なく肩を落とした。
初めて会った、獣人を冷たい眼で見ない人。
その人の顔を曇らせるのは、つらい。
そこでふとアロンが喜ぶような話に思い当たるが、話せば母は怒るかもしれない。
けれど自分のしたいようにしようと心に決める。それに彼ならば悪いようにはしないはずだ。
「実は僕には年の離れた妹がいるんですよ」
母の咎める声が聞こえるだろうと内心身構えていたが、意外にも沈黙を守ったままだった。
「妹さんもハーフ・ビーストなんですか?」
「ええ、ビビアンっていうんです」
「それはぜひ会ってみたいですね」
ナシェルの予想通り、アロンは嬉しそうに目を細めてくれた。
「あと十年もすれば村を出ることになるから、どこかで会うこともあるかもしれませんよ。
その時はビビって呼んでやってください」
「ビビちゃんですか、それは楽しみだ」
アロンはナシェルの生まれた村がどこにあるのか、そういったことを詮索してこなかった。
それは彼なりに獣人と交わり、培ってきた末の振る舞いなのだろう。
それが獣人と人間の距離に思えてうら悲しいが、今の時勢では仕方がないのかもしれない。
アロンは十年後の未来を思い描き、にナシェルに語る。
「その時までに、もっと人間にも獣人にも住みよい世界にしなければなりませんね」
母が何と言おうと、自分もその手伝いをしたい。
その思いを胸にナシェルも深くうなずいた。
「あっ! アロン先生!」
そんなほのぼのとした時間を男の声が打ち破った。
魔法屋の用事を済ませたらしいライオネルが駆け寄ってくる。
ティアもライオネルの慌てた様子に怪訝な顔をしながら遅れて続いてきた。
「あれほど外出の際には供をつけるようにと言っているのに!」
開口一番、苦りきった表情でアロンを咎めたが、当の本人はそんなライオネルを柳に風と受け流す。
「個人的な用ですし、この通り買い物も済んで帰るところですから」
アロンが手元の小包をひょいと掲げてみせる。
その包装紙に西地区にある書店の刻印を見出して、ライオネルは大仰にため息を吐き出した。
「西地区の本屋からの帰りでどうして東地区にいるんですか!」
「ええと……どうしてでしょうね?」
痛いところを突かれて言葉に詰まるアロンにここぞとばかりに諭すライオネル。
話の流れが飲み込めないティアは不思議そうにやり取りを見守っている。
アロンはナシェルがここにいることが嬉しいと言ってくれた。
けれどナシェルにはアロンのような人間がいてくれることが一番うれしい。
「……ティアもいつかわかってくれるよね」
「え? なにが?」
それっきり何も言わずほほ笑むだけのナシェルにティアはさらに深く首をかしげていた。
『あの男、もしや……』
母がつぶやく声が聞こえたが、ナシェルが尋ねても答えてくれなかった。
バーバラ→
2011/06/12