MISTEL

石切り職人と賢者


 俺が息子に店を譲ったのは10年前のことだった。
 今では息子に乞われた時にちょいと手伝うくらいだ。
 そろそろ隠居したらどうだと息子は冗談交じりに言うが、まだその気にはなれねえな。
 まだやり残した仕事がのこってるんだ。寝覚めが悪いだろ。
 10年前といえば俺に初孫ができた年だな。孫っていうのは別格だ。むっちゃかわいい。
 息子に対しては厳しくしてきたつもりだったが、俺も今ではすっかりジジバカだ。
 そういえば俺に息子ができたときの親父の豹変ぶりときたら……。俺もあれと同じか。

 まあ、それはともかく。
 その頃だったかな。センターで獣人の解放が宣言されたのは。
 セントラルシティが獣人に襲われて大規模な戦闘になったらしい。
 だけどその窮地を救ったのも、また獣人だったって話だ。
 ライオネル…何世だっけ? とにかく、それを機に王様が獣人を対等に、友人として迎えるとお触れを出した。
 他のシティも異論は挟まず、その法令は徐々に大陸中に広まっていった。
 一部のビーストハンターからは反発の声が上がったが、それもほどなくして潰えていった。
 みんな口には出さないが、何かしらきっかけがほしかったって奴が多かったんだろうよ。
 大本の戦争から30年経っていたし、元々獣人は迫害の対象ではなく、ただの隣人だったわけだしな。
 そこへ、獣人のほうから歩み寄ってきてくれたんだ。

 あるいは、誰かがそういう土壌を作って回った……とかな。

 それで思い出すのがやっぱりあいつの顔だった。
 あいつの、アロンの少年期を知る者の誰が今のあいつを想像できただろうか。
 大陸を代表する魔道士と呼ばれたのが35の若さだ。
 それに賢者と敬い慕われ、センターの王やデザートシティのマイスター王の側近まで務めた。
 過去にアロンをいびったことのある人間は、復讐されるんじゃないかと戦々恐々していたな。
 あいつはそんなに肝の小さい男じゃねえってのに。
 もしあいつが復讐するっていったら、人間全部を魔法でなぎ払うくらいはするんじゃなかろうか。
 絶望に取り付かれたら、それこそ獣人ごと世界を滅ぼす計画でも立てただろうよ。

 そして、それから10年だ。
 最近起きた事件といえば、奇病騒ぎってのがあったな。
 俺が住んでるのはシティの端っこのほうで、水源も違う水場だったから危うく難を逃れた。
 マイスター王は公式な発表をしないが、シメオンとかいう道士のしわざってのがもっぱらの噂だ。
 結局何者だったんだろう。シメオンとか、ガーヴィンってやつもいたっけな。
 アロンがデザートシティを離れてすぐに姿が見えなくなったが……。
 そういやもうじきあの姫さんの命日か。
 昔は月に一度は散歩がてら墓のあたりをぶらついていたもんだがな。
 今じゃモンスターが住み着いているせいもあって、すっかり足が遠のいた。
 それでも整備のためにも年に一度は様子を見に行っているし、それはアロンも同じだった。
 整備の日を命日の日にしてるってだけで……くそ、この性格は死んでも直りそうにないな。


 ん? 店に客が来ているようだ。
 あいにくと今息子は仕事に出てるんだがな。息子の嫁が応対しているはずだ。
 ちなみに孫もそれにくっついていった。俺や息子と違って今から家を継ぐ気満々だ。
 多分、嫁に似たんだろうな。家も将来安泰だ。
「あ…あの、お義父さん……」
 そのドラ息子には勿体ない嫁が顔を出した。
 どうした? 妙な客だったら追っ払ってやるぞ?
「いえ、その…お義父さんに仕事を頼みたいって人が……その人が……」
 なるほど。
 この慌てようは頓珍漢な客が冷やかしに来たって風じゃない。
「ああ、それは俺のダチだ。 上客だよ。」
 あたふたしていた嫁が、一転してぽかーんとあっけにとられていた。
 そういや誰かに進んで話すこともなかったからな。

 工房の方へ回ってみると、案の定あいつがいた。
 白いローブを身にまとったアロンは、すっかり賢者が板についているように見える。
 昔、墓の前で初めてその姿を見た時は、本人も着心地悪そうにしていたもんだがな。
 幽霊かと思ったもんで、俺も大笑いしてやった。
 そのローブがセンターの宰相格に与えられるものだと知って腰を抜かしたもんだ。
 墓標の出世払いの残りも一括して払ってくれたしな。
 そして、アロンが律儀に会釈して言う。

「墓標に名前を刻んでもらいたいのです。」

 今度は俺があっけにとられる番だった。
 みつけたのか。
 お前の旅の、もう一つの目的。その終着点。
 驚きと感嘆と歓心が入り混じって言葉が出てこない。
 ようやく絞り出した言葉は、心中とは裏腹に、意外にも冷静で事務的な言葉だった。

「なんて名だい?」
「リーザ、と。」

 きれいな名前だ。あの清楚な姫さんらしい。
 俺がこうして仕事の依頼を受けるのは10年ぶりだ。
 やり残した初めての仕事。
 そしてこれが最後の仕事になるだろう。

『名もなき王女の墓
人間との友好の礎となった獣人
賢者アロンが探し求めた尊名
リーザ
ここに眠る』


 文は俺が勝手に刻んだ。文面を考えたのは息子の嫁だけどな。
 それにしても本当にどこから見つけてきたのやら。
 大昔に切り落とされて、センターに送られていたはずの頭蓋骨も一緒に埋葬してやった。
 結局、墓が完成するまでに30年かかっちまったな。
 いや、アロンにしてみれば足掛け40年にもなるのか。
 5つの時から戦い始めて、15で世界をかけずり回って……。
 蹴っ飛ばせば手折れるような枝切れの墓標。あの時から俺とアロンの交友が始まったんだ。
 つまり、俺とこいつの縁も40年。
 兄ちゃんとガキんちょだったのが、じじいとおっさんになっちまったな。
 どうすんだお前、結婚もしないで。

 目を閉じ、胸に手を当て黙祷を捧げるアロンは穏やかに微笑んでいる。
 この新しい時代を、生ある限り見守り続けるつもりなんだろう。
 やっぱり姫さん……リーザ王女によく似ている。
 その顔を見て、俺は40年越しにようやく言うことができたんだ。


「なんでぇ、この泣き虫小僧が。」



2009/02/22

←BACK
inserted by FC2 system