ガラドリエルがドリアスに滞在していた頃、シンダールエルフの間で身長差カップルが流行していた。
まず彼らの王と王妃がそうだった。
数多のエルダールの中で最も丈高いシンゴルと、マイアたるメリアン。
メリアンも背は高い方だったが、シンゴルと並ぶと小柄に見えるほどだった。
美と力の象徴とも言える二人をドリアスの民は誇りとしていた。
シンゴルの弟エルモもまた背が高かった。
心穏やかな王弟の傍らには、いつでも嫋やかで優しい微笑みの妻がいた。
妻は夫の胸に顔を寄せ、夫は妻の肩をそっと抱き寄せる。
シンゴルを見守り寄り添う二人は、まさに夫婦の理想形だった。
シンダールの公子たちも長身の者が多い。
たとえばオロフェア夫妻は、妻の小柄さも手伝って夫の胸にようやく届くほどで、身長差の比率はドリアス一。
彼女がオークに襲われていた所をオロフェアが救い出した――
そんな劇的な二人の出会いの噂もあり、若い乙女たちの憧れの的だった。
今では男やもめとなってしまったが、知る人ぞ知るのがアムディア夫妻。
昔は楽人だった彼は、レギオンの森の踊りの名手である乙女と結ばれた。
星空の下で竪琴を爪弾く楽士と、それに合わせて舞う森の踊り子。
二人のほっそりとしたシルエットは絵に描いたようだと密かに人気があった。
ケレボルンもドリアスの公子の血脈に見合った上背の持ち主。
ガラドリエルもまた、彼とそう変わらないほどの長身だった。
彼女は高貴な血筋を体現したような己の高い背を誇りに思っていた。
……が、同時に彼女もまた乙女だった。
* * *
ガラドリエルはケレボルンに案内されてネルドレスの森を歩んでいた。
会わせたい友人がいる、とだけ聞いていた。
「殿のご友人はどのような方なのでしょう?」
「多分ね、見たら驚くと思うよ」
彼にしては珍しく悪戯っぽく言うのがかわいらしく思い、自然とガラドリエルに笑みが浮かぶ。
ケレボルンはガラドリエルの笑い顔が好きだ。
大切な恋人を大切な友人に紹介できる喜びと、その微笑みが友人に向けられるのを思い描き、心が踊った。
あいにくと館の主人も奥方も留守のようだが、目的の人物は在宅らしい。
「スランドゥイル、いるんだろう?」
が、呼びかけても一向に現れない。
ケレボルンは肩を竦めると、慣れた足取りでガラドリエルを応接間に通した。
この一家とよほど気心の知れた付き合いをしているらしい。
「この分だと宝石でも眺めているんだろう」
苦笑しながら少し待つように言い置いて、ケレボルンは部屋を後にした。
己が愛しく思う銀の木。スランドゥイルという名のその友人もきっと素敵な人物に違いない。
ケレボルンの背を見送って、手持無沙汰にさほど広くない応接室を見回した。
ノルドールとシンダールの感覚の違いを差し引いても地味な印象を受ける内装。
しかしソファの座り心地は悪くないし、調度品はどれも色白の木材で統一されて見た目にも質の良さをうかがわせる。
装飾は彼女にしてみると物足りないが、良く言えば落ち着いた雰囲気の館だった。
「紹介するよ、スランドゥイルだ」
ケレボルンが連れてきた人物を目にして、ガラドリエルは彼の予言通り驚いた。
スランドゥイルという名の少年……そう、ケレボルンの友人は少年だった。
子供らしさが抜けかけ、早く青年期に入りたいと背伸びをする少年期真っ只中の、やや小柄な男の子。
予想していたよりも年下なことにも驚いたが、何よりも彼女を驚嘆させたのは、
「まあ! ドリアスにもこんなに見事な金髪の子がいたのね」
スランドゥイルの髪はガラドリエルに比べてやや淡い印象を受ける。しかしその輝きは紛れもなく彼女と同じ光を宿していた。
しかも、自身を含めて美しいエルフを見慣れたガラドリエルをうならせるほどの美少年だった。
「彼女がわたしの大切な人……ガラドリエルだ」
ケレボルンがはにかんで恋人を紹介する。
その間スランドゥイルは呆然とガラドリエルを見上げていた。
初めてガラドリエルを目にした者が例外なくそうであるように。
しかし二人は次の瞬間、スランドゥイルの視線がそのような恍惚とした理由からでないことを知る。
「でっかい!!」
彼と対面して初めての言葉を受けて、ガラドリエルは顔を引き攣らせた。
室温が低下したような気がしてケレボルンの背筋が凍りつく。
スランドゥイルが言い放った言葉は当時のドリアスで、彼女の前では暗黙の裡に禁句とされていたもの。
ケレボルン自身はガラドリエルの背の高さなど問題視していなかったが、恋人を慮って背丈の差のことは口にしなかった。
ひょっとすると胸が「でっかい」と言いたかったのかもしれない。下世話だがそうに違いないとケレボルンは現実逃避を試みるが、
「厚底靴……じゃない! ウソ!? どうして!?」
失敗に終わった。
「本当に!? ありえないよ!!」
スランドゥイルは珍獣でも見たかのように捲し立てている。
興奮のあまり混乱してあたふたするスランドゥイルを、ケレボルンは背後から羽交い絞めにした。
普段なら微笑ましく思うはずの青年と少年の身長差が妬ましい。相手が自分と同じ金髪なのが拍車をかける。
「こ……こら、落ち着けイル!」
「だってケレン、おかしいよアレ!」
これはもう喋らせない方がいいとようやく判断して、ケレボルンは大きな手で口を抑え込んだ。
その手から逃れようとスランドゥイルはもがくが、もはやガラドリエルの目にはじゃれ合っているようにしか見えない。
その上、愛称で呼び合うほどに親しい間柄。
――当て付けかしらこのク○ガキ……。
エルフにあるまじき暴言を寸でのところで飲み込んだ。
少なくともケレボルンの前でだけはという理性が勝って、ガラドリエルはどうにか笑みを形作った。
遠目で見れば優しく微笑んでいるように見えるかもしれないが、目の前にすると陰のある作り笑いがひたすら恐ろしい。
「わたくし、そろそろお暇いたしますわ」
来たばかりなのに?とケレボルンに口を塞がれたままスランドゥイルは顔に疑問符を浮かべる。
ガラドリエルは作り笑いをそのままに、身動きが取れない彼をまっすぐ見下ろした。
「御機嫌よう、小さなお嬢ちゃん」
冷えた言葉の響きにスランドゥイルどころかケレボルンすらも硬直した。
先に体が解れたのはスランドゥイルで、まとわりついた腕を振りほどいてガラドリエルの背に叫び返す。
「私のどこがお嬢ちゃんだ!」
「あら、あなたの背ならさぞや殿方とお似合いでしょうに」
洒落にならない嫌味を言い残してガラドリエルは去って行った。
「おまえがデカすぎるんだデカドリエル!!」
「うわー! イル、それ以上は!!」
なおも言い募ろうとするスランドゥイルを必死で宥めるケレボルンの声を、ガラドリエルは背中で聞いていた。
しばらくしてガラドリエルに追いついたケレボルンは、開口一番に謝罪した。
「すまない、彼の暴言はどうやらわたしのせいだ」
ケレボルンがスランドゥイルを問い詰めた結果、彼は「金髪エルフは背が低い」と思い込んでいた。
以前、ケレボルンは彼から「同年代の子に比べて背が伸びない」と、相談という名の愚痴を聞いたことがあった。
スランドゥイルの父はオロフェアで、母はその「背の低い金髪エルフ」。
スランドゥイルには双子の妹がおり、彼女の方が背が高かったのだから、男としては複雑に思うのも無理はない。
妹は長身の父親似で、スランドゥイルは紛うことなき母親似。
その時に「金髪のエルフはあまり背が伸びないものなのさ」と、冗談めかして言ったのをそのまま信じ込んでいたらしい。
「気にするな」と「諦めろ」という趣旨で言ったのだが、彼がまだ素直で幼かったのと、ドリアスで他に金髪エルフがいないことが思い込みに拍車をかけてしまったようだ。
むしろ背の低い金髪エルフは稀だと告げると、スランドゥイルは呆気にとられていた。
「彼の事情はわかりました。 ……しかし殿も本心では小柄な乙女が好みなのではなくて?」
あれだけ好き勝手言われれば臍を曲げるのも仕方がない。
つんと顔をそむける様がむしろ愛おしくて、ケレボルンはきっぱりと首を振った。
「以前に祖母がこぼしていたことがある。 “キスをしたいときに、ねだらないとできないのが少しさみしい”とね」
穏やかなエルモ夫妻の可愛らしい悩みに、ガラドリエルは思わず顔をほころばせた。
お互いの揃った背を確かめるように見つめ合い、二人の顔が自然と近づいていく。
目の前に愛しいひとの顔がある。そのなんと幸福なことか。
そう思うと、ガラドリエルはやはり自分の長身が誇らしかった。
* * *
その一件はガラドリエルにもスランドゥイルにも黒歴史と化し、水に流されたように思われた。
しかし、後にそのことが起因すると思われる影響が二つあった。
一つは、ガラドリエルは娘のケレブリアンを気合いと根性でごく普通の身長に生んだ。
そしてもう一つが、数千年の後の世、太陽の第三紀に至ってもガラドリエルとスランドゥイルの仲はすこぶる悪い。
その険悪さときたら、お互いが支配する版図に影響を及ぼすほどだ。
……が、
「口の減らないこと。 悔しかったらわらわの背を抜かしてみることです」
「あいにくと、わしは繊細な性質でなあ」
「軟弱チビ」
「デカ女」
スランドゥイルは数年に一度、アムロスの墓参りの名目で非公式にロスロリアンを訪れる。
その度に懲りず言い合う二人がどこか楽しそうに見えるのは、とっくの昔に諦観の境地に入ったケレボルンだけかもしれない。
ちなみに、スランドゥイルの背はケレボルンの顎のあたりで成長期が終わった。
僅かながらも父親の長身の血が働いてくれたらしい。
額にキスがしやすくてケレボルンは概ね満足だが、スランドゥイルは甚だ不服そうにしていた。
2011/12/04
「強敵」と書いて「友」と読むのがガラドリエルとスランドゥイルの間柄。