「くしゅん!」
押し殺しそこねたくぐもったくしゃみが微笑ましくて、ウシワカの顔がほころんだ。
「寒いのかい?」
「む…そんなことはない。」
茶化すような口調が悪かったのか、隣のサマイクルは素っ気ない声で答えた。
ナカツクニでは桜の花が綻ぶ頃合ではあるが、ここカムイの夜はよく冷える。
が、そこに住まう者としての矜持からか、サマイクルは虚勢を張ってみせた。
こんな時にまで持ち前の頑固さを発揮しなくてもと思いつつ、その様もまた微笑ましいもので、ウシワカの笑みも自然と深くなる。
初めて言葉を交わした日にウシワカが言ったように、二人の足が同じ時、同じ場所へ向いた時にこうして逢い引きが成立する。
密かに会うと言っても、いくらサマイクルが大人びているとしてもまだ十をそこそこ超えた子供に過ぎず。
ましてや、男女の逢瀬のような艶やかな雰囲気があるわけでもない。
することといえば、取り留めのない会話を交わすこと。
ウシワカの話題は、都の巫女の不思議な話から村長と禁酒をめぐる笑い話まで多岐にわたり、時には伝説や伝記の類を話してくれることもあった。
もっぱらサマイクルは聞き役だが、村で、カムイで起こった大小様々なことを話した。
自分がいない間のカムイの動向を探ることが出来る。そういう打算的なことを抜きにしても、ウシワカはこの平穏な時間が気に入っていた。
「…で、話の続き。ユーのマスクを取ってはくれないかい?」
「そう言われても、面を外すのは…。」
くしゃみをする前の話題に戻して、ウシワカは仮面を覗き込んだ。サマイクルは困ったように顔をそむける。
心情的にはウシワカの願いを叶えてあげたいと思うのだが、どうにも抵抗があるといった風情だ。
その仮面はオイナ族をオイナ族たらしめるものであり、彼にしてみれば「服を脱いで肌をさらせ」と言われているようなものなのだろう。
「どうしてもダメ?」
「うーん……」
人を困らせて楽しむ趣味はない……わけでもないが、早い話が単純にサマイクルの素顔が気になるのだ。
いつか見たのは、ただ友を想う痛切な眼差し。切れ長で黒眼勝ちな青い瞳が印象的だった。
幼いながらもきれいな顔立ちをしていたと記憶している。
「ウシワカも頭巾を取ってくれるなら。」
「さぁて、どうしようかなぁ。」
腕を組んで空を見上げた。二人が腰掛ける岸壁からはラヨチ湖を一望することができた。
口では思案するそぶりを見せながらも、提示された交換条件を呑むわけにもいかず、内心肩を落とした。
仕方がない、今回はあきらめることに……
「自分は取るつもりなんてないくせに。」
ご明察。サマイクルはこちらの心中を見透かしてふくれっ面を向けてくる。
そのまま押し殺す間もなくくしゃみが飛び出したので、とうとうウシワカはくすくすと肩を震わせた。
「オイナ族にも寒がりがいたんだ。」
「わ…我はその、鼻がむずがゆかっただけで……」
意地を張って強がってみせるも、身震いしながらでは説得力はない。
「それじゃあ、こうしようか。」
彼が疑問を口にする前に、ウシワカはサマイクルを抱き寄せた。
さすがに膝の上は無理なので足の間に下ろして、後ろから抱きすくめるようにして頭巾で包み込んだ。
いつかしたように。
「頭巾、取らなくて良かったろう?」
「…むぅ…」
あの時のように全身すっぽりとまではいかないが、ウシワカの力強さに圧倒されたのかサマイクルは大人しく身をあずけていた。
ひょっとしたら、覚えがあるようなないような、ぼんやりとした既視感に首をひねっているのかもしれない。
ふとウシワカは思った。
二人が会うときは大抵月夜の晩で、昼間に会うことがあったときも青い空に白い月がぽっかりと浮かんでいた気がする。
そもそも、サマイクルとは時間の約束をしていない。
会うとなれば偶然のはずだが、近頃はカムイに立ち寄るとこうして会って話をしているのは何故だろう?
無意識のうちに月の満ち欠けを合図にしていて、何かと聡いこの子もそれを感じ取っているのだろうか。
ならばなぜ偶然を装ってまでサマイクルに会いたいと思うのか――
と、ここまで思い至って、その先は考えるのをやめた。
何となくそうした方がいいと思った。自分のためにも、サマイクルのためにも。
「さて、今日は何の話をしようか。」
話題を変えて、もやもやする思考を脇へ追いやった。
「イザナギ伝説は話したかな?」
「ううん、それってヤマタノ…」
「おっと、その名を軽々しく口にしてはいけないよ。」
「双魔神のようなもの?」
「そう、ナカツクニに神木村というスローライフな村があって――」
話し始めたのはおよそ百年前の出来事。
ウシワカの口ぶりはまるでそれらを見てきたように流暢で、否応無しに物語に惹き込まれる。
この時間がサマイクルは大好きだった。
お互いのぬくもりに包まれながら、サマイクルはウシワカの話に耳を傾けた。
2008/03/30