大神

月の話をしよう。


「村長ー!」
 仲良し四人組の幼い子供たちが元気よく駆けてきて、村長の家に飛び込んできた。
 しかし目的の村長はおらず、代わりに暖炉のそばでくつろいでいる男にたずねかけた。
「ねえ、オキ爺。 村長は?」
「祈祷所のほうでトゥスクルと何か作っていたぞ。 じきに戻ってくるだろう」
 子供たちは、せっかくお話を聞きにきたのにと肩を落とす。
 男はよく飽きもせずに聞きにくるものだと、感心とも呆れともつかぬ溜息をついた。
 しかしその様子を見かねて、
「どれ、たまには俺が聞かせてやろうか。」
 クトネシリカの話なら何とかなるぞ、と提案するも。
「オキ爺はお話へただからイヤ。」
「おおざっぱすぎるんだよ、オキ爺の話って。」
 大不評だった。言葉にしないながら、女の子二人もひそかに頷き合う。
 そして命知らずの男の子二人は、伝家の宝刀のゲンコツをもらうはめになった。
 その様を見て、男の伴侶がくすくすと笑う。
「ええい、笑うなカイポク!」
「だって、あんたの話下手は事実じゃないか。」
 ぐうの音も出ない。

「随分とにぎやかだな。」
 そこへようやく家主とその妻が戻ってきた。
「サマ爺だ!」
「お話聞かせてー」
「これこれ、そう急かさんでも、我は逃げはせん。」
 パタパタと駆け寄ってきて昔話をせがまれる。
 まとわりつかれて辟易しながらも、その無邪気さに顔がほころんだ。
「オキ爺がまたぶった。」
「そんなことで音を上げては、強い戦士になれぬぞ。」
 男の子の頭をわしわしと撫でてやり、所定の席に腰を下ろした。
 杖こそついているが、はたから見るととても盲いているようには見えない。
「話のつまみにヨモギ団子でも食べるといい。」
 村長に寄り添うように腰を下ろし、妻が団子が山盛りの皿を置いた。
 二人でこれを作っていたらしい。
「さて、今日はどの話をしようか」
 見えない目で、ぎっしりと書物がつめこまれた本棚をぐるりと見回した。
 子供たちに本を読み聞かせることはできないが、その本の中身はみな彼の頭に入っている。
 記憶の中から一本の巻物を紐解いて、語り始めた。


* * *


 カムイに温もりが戻ってきて早数十年は経った。
 オキクルミ、サマイクル、カイポク、トゥスクルの長老四人は、何かにつけサマイクルの家に集う。
 それは若い頃からのことで、髪が真っ白になった今でも変わらない。
 オキクルミもサマイクルも、年を取っても腰は曲がらず、かくしゃくとしていた。
 前の村長を知る者は、“あの”げんこつオヤジが二人もいて今も子供はご愁傷様だ、と揶揄するほどだ。
 それでもやはり寄る年波には抗い切れず、さらには長年に渡る妖怪との戦いもたたり、彼らも健康そのものとは言えない。
 その一つが、サマイクルの失明だった。
 彼も初めは絶望もした。
 友の叱咤激励に伴侶の献身を受け、特にオキクルミとは掴み合いの取っ組み合い。殴り合いにまでなった。
 しかしそれが功を奏し、勤勉で負けん気の強さもあわせ持ったサマイクルは立ち直ってみせたのだ。
 今では、村の中ならば一人で出歩いても支障はない。
 見えない目でオキクルミを殴り倒した経験から、視覚以外の感覚を研ぎ澄まして標的の場所さえわかれば、矢だって当ててみせるほどだった。



 その日、サマイクルは神殿前の祈祷所から、まだ用があるという妻を残して一人家路についていた。
 夜も更けてあたりは暗闇に包まれているが、サマイクルの足取りは昼間と変わらない。
 暦の上では煌々とした月が輝いているはずだとサマイクルは思った。
 頭上に注意を向けて、はたと足を止めた。
「そこにいるのは誰そ」
 仕込み刀の杖を用心深く握りこむ。
 妖怪のにおいはないが、人間でもない。ましてや、オイナ族とも違う。
 そこまで感じ取って、このにおいに覚えがあることに気がついた。
「我は……知っている。 このにおいは、とても…懐かしい……。」
 気配の元を見上げると、ふっと息の漏れる音が聞こえて、相手が微笑んだのだとわかった。
「ミーを覚えていてくれるとは、嬉しいよハヤブサ君。」
 もう疑いようもない。その声に珍妙な口調。
「ウシワカ……!」
「ザッツ ライト!」
 ふわりと牡丹雪のようにサマイクルの目の前に降り立つ。
 声や感じ取れる身のこなしは、かつて目にしたものと寸分たがわぬものだった。
 そのことに、もはや驚きは感じない。
「久し振りだね。 ユーは変わって……うーん、マスクしてるからわからないや。」
 サマイクルをしげしげと眺め、明朗に笑い飛ばした。
 それに釣られてサマイクルもくすりと笑みを漏らす。
「ウシワカは変わらぬようだな。 我はずいぶんと年を取った。すっかり盲いてしまったよ。」
「そうみたいだね。 ……残念だな。」
 残念がることなどない。ウシワカの姿は幾星霜経とうとも、脳裏に焼き付いている。
 それを伝えても、ウシワカの嬉しそうな声に混じった落胆はぬぐい切れていなかった。

 彼の真意は測りかねるが、サマイクルには差し当たり気になることがあった。
「ウシワカはどうして……?」
 ヤマトに乗り込むウシワカを見送り、もう会うことはないだろうと思っていたのだ。
「またユーに一つおとぎ話をしようと思ってね。」
「おとぎ話……?」
 今のサマイクルは、かつてウシワカが話してくれた“お伽話”の正体をつかんでいた。
 ウシワカの話す伝説や伝承は、時に一般に伝えられているものとは異なることがあった。
 それはきっと、ありのまま起こった事実と、語り継がれた口承との差異。
 そのことに気づけたのは、時を経ても変わらぬウシワカの姿を知ったからだった。
「下界に落ちた船が、天へと舞い上がった後のストーリィさ。」
 長い話になるから座ろうと促され、ここは初めてウシワカと会話を交わした場所だと思い至る。
 ラヨチ湖とクトネシリカをいっぺんに見渡せるところ。
 それなら腰掛けるにいい岩があったはずだ。かつてこの場所でも話を聞かせてもらったことがある。
 二人とも自然とそこに足が向かい、変わらずそこにあった岩に雪を払って腰をおろした。
 そしてウシワカは、ゆっくりと口を開いた。


* * *


「―――まだ全てが終わったわけではないけどね。」
 長かった話を、ウシワカはそう締めくくった。サマイクルはその話を静かに整理していた。
 幼少時にウシワカから聞かされた話。その一部に、ナカツクニのどこで起きたのかどうしても分からないものがあったのだ。
 タカマガハラという、神々の住まうという地で起きたとも思えないできごと。
 今、最後の謎がようやく解けた。その答は、幼いころにひょっとしたら、と夢想したことそのものだった。
 長年のわだかまりが解消されて晴々しい思いを抱きつつ、一方でやはり疑問が残っている。
「どうしてウシワカは、我に話してくれるのだ?」
 今の話をするために、自分の前に姿を現してくれたのはわかるのだが。
「それは、ユーがこの下界のウツシクニでただ一人、月のストーリーを知っているからだよ。」
 コロポックルにほんの少しだけ話したこともあった。だが、彼らに託すのは太陽であって月ではない。
 すべてを打ち明けた都の巫女もこの世にいない。
「ミーには続きを話す義務があるんだ。 だから、ユーに会いにきた。」
 そう言ったあとウシワカには珍しく、いや、と口ごもったが、その続きを話してはくれなかった。

「さて、次はユーの番だ。 随分と見覚えのない家が増えたじゃないか。」
 わかりやすくはぐらかされたが、村の現状を語るのはやぶさかでない。
 双魔神に多くを殺されたが、今では往時の勢いを取り戻しつつあること。
 ナカツクニと交流が盛んになってきたこと。
 コカリがオイナ族の娘を娶って、相も変わらず針も糸もない竿を振っていること。近頃では竿すら必要としなくなってきたらしい。
 大きなこと、小さなこと。
 変わったもの、変わらないもの。

 話しているうちに冷たい夜風が吹きぬけて、サマイクルは身震いして肩を抱いた。
 その歳で長時間外で話し込むのはつらいだろう。
 ウシワカはサマイクルの体を抱き寄せた。
「こんなことなら、頭巾をかぶってくるべきだったかな。」
 ウシワカの胸に抱かれて、自分のものではない長い髪の感触がサマイクルの頬を撫でた。
 先だっての「残念だ」の意味を理解して、
「それは……残念だな。」
 サマイクルもそう呟いた。

「さっきはああ言ったけど、ユーに会いたかったから、の方が本命かな。」
 肩を抱く力が強まり、サマイクルは頭に疑問符を浮かべた。ウシワカの独白は続く。
「あの頃、好きな子がいたんだ。寒がりなのにそれを認めようとしない頑固者でね。
 それは今でも変わらないらしい。 ……そうだろう、サマイクル。」
 サマイクルの驚きの表情が仮面ごしにも伝わってくる。
「こんな年寄りに何を言うかと思えば……。」
 呆れたようについた溜息は、白くなって消えていった。
「冷たい風が好かんだけだというのに。」
「それを寒がりというんじゃないかな。」
 昔なら意固地になって反論しただろうが、サマイクルはふっと笑みをこぼしただけで否定しなかった。
「……ただ、寒い日に会うのは嫌じゃなかった。」
 今度はウシワカの顔に疑問符が浮かぶ。
 サマイクルは、風に吹き消されそうな小さな声で呟いた。
「……きな人の腕が、心地よかったから。」
 照れ隠しのように、もう二度と言わんとつっけんどんにそっぽを向いた。
 一度だけで十分だった。
 お互いにこれが本当に最後の再会になるとわかっていたから。
「これでも随分と急いで事に当ったんだけど、すっかり遅くなってしまったなぁ。」
 そんなことはない、とサマイクルは静かに頭を振った。
 けれどもしも再び出会うことがあるのなら、少しでもあなたの近くにありたい。
 見えずともそこにある月に、そう願わずにはいられなかった。


 その夜、幾人かのオイナ族が、天へと飛び立つ流れ星をみたという。


* * *


「村長ー! お話聞きにきたよー!」
 今日も子供たちが話を聞きにやってきた。
 いつものようにサマイクルの前に集まって、興味津々な目を向けてくる。
「ああ、よく来たな。 うむ、そうだな……」
 今日に限って、サマイクルは本棚を見回すことをしなかった。
 話す物語を決めて、前置きに子供たちに問いかけた。
「お前たちも、かつてラヨチ湖にあった箱舟の話は知っているな?」
「しってるよ! むかしむかし、天のくにから妖怪をのせておちてきたんだ。」
「双魔神があばれた“げんとーのしょく”の年に、太陽をのせて天へかえっていったんでしょう?」
 子供たちが得意げに知識を披露してみせる。
 それらはサマイクルが語って聞かせたもので、それが身に付いていることに満足してうなずいた。
「今から話すのは、箱舟ヤマトが下界に落ちる前の話だ。」
 初めて耳にする話に、オキクルミが首をかしげた。
 カイポクもトゥスクルに目くばせしてみるが、サマイクルの傍らで語りを聞き続けた彼女ですら初耳だった。
 今では彼女が管理するおびただしい量の書物にも覚えがない。
 サマイクルは子供たちだけでなく、友人たちにも向けて語り始めた。


「昔々、神話の時代よりも更に前のこと……」


 沈黙を解いて、月の話をしよう。



2008/12/20

←BACK
inserted by FC2 system