――初めは気紛れだったのだと思う。あの子供を助けたのは……。
「オーマイガッ」
大吹雪に辟易して、ウシワカは思わず呟いた。
西安京や十六夜神社を拠点にしてナカツクニを偵察して回っている彼は、危険を承知でカムイの様子を窺いにいたのだが、うっかりひどい寒波に巻きこまれてしまっていた。
「悪い時に来ちゃったみたいだな…。」
さすがに報えるとぼやきながら、そんな素振りは見せない身のこなしで木の枝から枝へと飛び移っていく。
風に煽られないよう低いところを飛んでいくウシワカの眼下に、何か動くものをとらえた。
細い目をもっと細めて目を凝らすと、それは白い狼に見えた。
―――いや、オイナ族か…。
額に青い面を被せているのが見える。ただ、その身体つきはとても小さく、どう見ても子供のものだった。
熊も身を潜める吹雪の晩に、何をしているのだろうと怪訝に思う。
もっとも、自分とて他人のことをどうこう言えはしないのだが。
いつもなら関わることはしなかっただろう。
けれど、白い毛並みに体の隈取り。
どことなく、石となって眠るかつての戦友を思い起こさせて…。
「ギャンッ」
鋭い悲鳴を聞いて我に返る。
見ると、降り積もった雪にうずもれる細い肢体。そして、じりじりと距離を詰める一体のなまはげ。
「…見てられないなぁ。」
なまはげが立て札を振り上げた瞬間、ウシワカは長い柄に刀を一閃させた。この程度の相手ならピロウトークを抜くまでもない。
得物を台無しにされたなまはげは、突如天から舞い降りた新手に敵わないとみるや、二つになった立て札を放り捨てて逃げ出していく。
たわいも無いとその様を横目で見ながらも、追うことはしなかった。
身を屈めて雪避けになってやり、子供の様子をうかがう。
青みかかった白い毛並み。首周りの豊かなむく毛。青色の隈取り。
うっすらと開かれたその双眸も、晴れ渡る空のように青い。
近くで見ればあまり類似点はみとめられないが、それとは関係なしに美しいオイナ族の狼だった。
子供は掠れる声で二つ三つ言葉を述べて、礼のようなことを聞き取った。
また立ち上がろうとするのか身じろぐも叶わず、突っ伏したまませわしなく胸を上下させている。
何をそこまで必死になるのか。なまはげも寄ってこようというもの。
細く息をはいて、子供がつぶやいた。
「―――我におまえのような翼があれば、すぐに助けを呼べるものを…。」
言われたことに、一瞬だけぎくりとした。
けれど、胸の奥からふつふつと湧き上がる虚無感と罪悪感に、すっと目を細める。
―――翼…か。
髪を隠すこの頭巾を、鳥と見違えたのだろうか。
確かに、背後からの強風で鳥が翼を広げているように見えるかもしれない。
「おまえ、我の言葉が分かるか? 分かるのなら…」
どうやら本格的に間違えているらしい。
そんな場合ではないのだが、自嘲にも似た苦笑いがこみ上げた。
その間に、子供はブルブルと首を振って仮面をはずした。
驚き目を丸くするウシワカに、人の姿に戻った子供が震える手で面をさし出す。
「もしオイナ族が近くにいるのなら、サマイクルがここにいるぞと伝えておくれ…。」
反射的に受け取ると、サマイクルと名乗った少年は首に下げた飾りを大切そうに握りしめ、再び倒れ伏してしまった。
そして唐突に見た。二つの未来を。
一つはごく近い未来。
再会を喜ぶ、二人の子供の姿。一人はここに横たわる少年だった。
お互いの無事を確認し合う姿がはっきりと見えた。
もう一つはぼんやりとした、少し遠い未来。
若者が二人で湖畔に佇んで肩を並べ、虹を見上げて……。
ラヨチ湖、虹…――ヤマト?
ああ、そうか。
「ユーはミーの行く先にいるんだね…。」
この子を死なせる訳にはいかない。いや、死ぬ運命にはないのだから。
どういう経緯か分からないが、遭難した友人を救うためにここまで無茶をやらかしているらしい。
このまま放っておけば確実に命はないだろうが、自分が表立って動くのは避けたい。
どうしたものかとサマイクルを抱きかかえ、首をめぐらせると、いつの間にか一羽の白い隼が佇んでいた。
ひょっとすると、初めから見守っていたのかもしれない。この子供の守役なのだろう。
「このマスクの配達を、頼まれてくれるかい?」
子供一人を運べるほど大きくは無いその隼に、サマイクルの仮面を託す。
隼は心得たと言わんばかりに大きな翼を広げると、吹雪に負けぬ力強さで羽ばたき、光のない黒い空へと舞い上がった。
それを見届けて、ウシワカはひときわ太い幹の根元に腰をおろした。
腕の中に納まる小さな体を、暖を取ろうと頭巾で包み込む。
握りしめた両の手がそのまま固まってしまいやしないだろうかと思ったが、頑なに放そうとしなかった。
「ガンコだねぇ…。」
よほど大切なものなのだろう。ただ、その首飾りはサマイクルの雰囲気には合わない気がして、友人のものを預かってきたのだろうと見当がついた。
手をはがすのを諦めて、冷たい体を抱きなおす。
「…残念だけどね、ミーには翼なんてないんだ。」
何を話しているのだろう、年端もいかない子供に。
「ミーにあるのは、ベリーへビィな罪の負い目だけさ。」
聞かれていないからこそ、話したのかもしれない。
そして少し気が緩んだのだろう。目指す未来が、そう遠くないことを知って。
あどけなくも、不安に曇った表情。
心配することはない。無事に村へ帰れると語りかける。
そしていつの日か、多かれ少なかれ、二人とも自分たちと関わることになる。
近い未来に思いを馳せていると、例の隼が戻ってきた。
「早かったね。じゃあ、バトンタッチだ。」
帰りが思ったよりも早かったのは、ウエペケレからも捜索の者を放っていたからだろう。
隼はサマイクルを羽毛の下にすっぽりと収めた。
あれなら凍える心配はない。むしろ頭巾で包むよりも断然暖かいだろう。
自分も、見咎められないうちに早々に去ろう。
サマイクルはあの隼とオイナ族がなんとかするだろう。
この吹雪もただの大自然の猛威。ごく自然なもので、妖魔の関わりはみられない。
十六夜神社の警備に戻らねば。もう少し…もう少しだから。
――シーユー、友達思いの頑固な子。
ミーとユーの未来が、再び重なるその日まで。
2007/01/14