大神

青い隼の伝説 3


 暖かかった。
 相変わらず空気は身を切るように冷たいのに。
 ふわふわと柔らかくて、どこかほっとするような。
 夢現のまどろみの、揺籃にも似たぬくもり――。


「いたぞ、あそこだ!」
 誰かの声を聞いた。それと同時に自分を包み込んでいた暖かみが消えて、サマイクルは風の冷たさを思い出したように体を戦慄かせた。
 次第に大きくなる足音とは別に、すぐそこで鳥の羽音を聞いた気がした。
「気をしっかり持て!」
 肩を揺さぶられて、サマイクルは気だるげに目を開く。ゆっくりと息を吐き出して、その白い息が風にかき消されるのを見た。
 オイナ族の男が二人、自分を覗き込んでいる。呼びかけに目を開いたことに、ほっと息をついていた。

 不意に何もかもを思い出して、サマイクルはようやく握りしめていた両手を離した。
 自分を抱き起こしたキツネの面の男に取りすがる。首飾りが胸元で揺れた。
「オキクルミ…オキクルミが…」
「落ち着くんだサマイクル。オキクルミは一緒ではないのか?」
 軽く恐慌をきたしているサマイクルに、もう一人のキツツキ面の男がその背を撫で、そっと宥める。
 だんだん混乱がおさまって、つとめてゆっくりと息を吐き出した。
「オキクルミがけがをして、動けないでいるんだ!」
「お…ああ、そうか。ならば案内できるか?」
 早く戻らなければ凍えてしまうとまくし立てられる。
 今の今まで凍え死にそうになっていたのは誰だと追及するのは後回しにするとして、オイナ族の男二人は狼の姿に変化した。


* * *


「…最後の一本か。」
 恨めしげに呟いて、オキクルミは細い棒切れを灰と炭だらけで小さくなった火に放り込んだ。
 襟元を掻き合わせて膝を抱える。

 このまま消えてしまうのだろうか。
 この小さな火も、一人外へ飛び出していった友人も…
 恐ろしい妄想に、肌を粟立たせて激しく首を振った。


 誰かの声が耳に入った気がして、顔を上げかけて…やめた。
 それはもう何度も繰り返された行動だった。
 風の唸りを人の声と聞き違え、雪の落ちる音に幾度も肩透かしをくった。
 今度こそ本当に幻聴を聞いてしまったのかと、半ば期待せずに入り口へと目をむけた。

「オキクルミ!!」

 声と共に、狼が飛び込んできた。
 狼が足を止める前に、その背に乗っていた子供が転がるように飛び降りて、そのままの勢いでオキクルミに抱きついた。
 壁に頭をぶつけそうになったのを、とっさに後ろに手を付いてまぬがれた。
 オキクルミは突然のことに目を白黒させていたが、サマイクルの冷え切った髪がさらりと耳を掠めて、夢でも幻でもないと告げてくれた。
 しがみ付いてくるサマイクルの体が氷のように冷たくて、おまけに仮面をつけていないことに気付く。相当無茶をしたのだろうと、オキクルミは眉をしかめた。
 それでも、友人の無事と大人がきてくれたことの安心感からか、鼻の奥がつんと熱くなり、自然と笑みがもれた。

 借り受けた上着を脱ぐと、そっとサマイクルの肩にかける。
「あんまり遅いから、あたためておいてやったぞ。」
 冗談めかして言うと、サマイクルもほっと微笑む。仮面ごしでない笑顔がなんだか新鮮だった。
 寒さをしのぐには心許ないが、ほのかに体温のうつったそれは、確かに暖かかった。袖を通して首飾りを抜くと、何も言わずに差し出す。
 オキクルミも何も黙って受け取って、そのまま首にかけた。

「ともかく、無事でなによりだ。」
 遣り取りの始終を傍観していたキツツキ面の男は顔をほころばせて、しばらく休んだら村へ戻る旨を伝える。
 そこへキツネ面のもう一人が、燃料になりそうな枝を抱えてやってきた。
 小さくなっていた火にくべて、一応の安全が確保されたのを認めると、
「さて、ひと段落ついたところで…」
 感動の再会にひたる二人に向き直って、一発ずつ拳骨を見舞った。
 二人仲良く頭を抱えてうずくまる。
「こんな時にいなくなりおって、このクソガキども…。」
 帰ったら村長にみっちり叱ってもらえと大人の本音をあらわにする。
 その“こんな時”を思い出して、オキクルミは弾かれたように顔を上げた。
「そうだ、カイポクは…」
 サマイクルも問うような眼差しを向けるも、
「お前たち、自分の置かれている状況が分かっているのか!!」
 一喝されて身を竦め、力なく俯く。
 その様を見かねたキツツキ面の男が、助け舟を出すように言った。
「心配なのは分かるが、今も村の衆が捜しているところ。子供の出る幕ではないぞ。」
 しかし暗にまだ見つかっていないのだということを突きつけられ、心痛の色を濃くしてさらに項垂れて、普段気丈な二人も流石に泣き出しそうな雰囲気だった。

「ああ、そうだ。」
 重苦しい空気を払うように、慰めに失敗したキツツキ面の男を押しのけて、キツネ面の男は思い出したように懐を探った。
 取り出したのはハヤブサの面だった。それをサマイクルに差し出す。
 今更ながら面をつけていないことに気付いたようで、慌てて受け取ってかぶる。その様をオキクルミがからかって、ようやく場が和んできた。
「しかし、それが天から面が降ってきたのには驚いたな。」
 妖怪の悪戯かと思ったが、空を見上げると一羽の猛禽が見つけてくれと言わんばかりに旋回しており、その鳥が落としたのだと分かった。
 そしてその猛禽にいざなわれ、サマイクルのもとにたどり着いたのだという。

 意識を手放す前の鳥との遣り取りが、夢の中のできごとではなかったのだと自覚して、サマイクルは自分が覚えている限りのことを話した。
「―――それで、その白い隼に面をあずけて…あとは分からない。」
「白…? 我々が見たのは普通の色だったぞ。」
 反論するも、向こうは大人でこちらは子供。おまけに二対一とあっては分が悪い。
 オキクルミはといえば、特に報告するような出来事もなく、半ばむきになっている友人を眺めている。
「大方、吹雪に霞んで見えたのだろうよ。」
 そう結論付けられ、そんなはずはないとサマイクルは身を乗り出して言い募った。
 その拍子に着物の合わせ目から何かが零れ落ちたのを、オキクルミが見とがめた。

「…俺はサマイクルの言うことを信じる。」
 拾い上げたそれは、二枚の羽根だった。
 先端が白く、根元にいくにつれて青みかかっている。
 その色合いは狼の姿をしたサマイクルを思わせた。
「きっと、おまえの守り神が助けてくれたんだ。」
 サマイクルは渡された羽根をひとしきりながめ、
「そうかもしれないな…。」
 大切そうに懐へしまいこんだ。

 言われてみれば、暗闇の中その隼の姿を見失うことはなかった。
 懐疑的だった大人二人もこれには目を丸くして、不思議なこともあるものだと感心していた。
 そして、ちょうど話題も佳境を過ぎたところで、
「さあ、休憩はこれまでだ。」
 これ以上風が吹き荒れることになれば、完全に動きが取れなくなってしまう。
 そのことを恐れ、大人たちは狼に姿を変えた。子供はその背にまたがりしがみ付く。
 たき火を消すと、暗闇が訪れた。小さな角灯の光を頼りに、吹雪の中を突き進んだ。


* * *


 この日カムイを襲った大寒波は、歴史的と銘打たれるほどに凄まじいものだった。
 夜が明けても続いた吹雪は昼過ぎまで猛威を振るった。

 オキクルミとサマイクルが無事に村へ戻ってきて、大変だったのはそれからだった。
 二人が帰ったのはまだ夜明け前のことだったが、帰って早々トゥスクルに泣かれた。
 最初にオキクルミとサマイクルの二人がいなくなったのに気付いたのは彼女だという。
 やはりカイポクのことが気がかりでサマイクルの部屋を訪れたが、サマイクルはおろかオキクルミさえいない。一度村へ戻っていた男たちにそのことを伝え、村の入り口で座り込みをして皆が戻るのを待っていたらしい。
 夜番の者に家の中で待つように言われても、頑として聞かなかった。

 トゥスクルをどうにか宥めた後、村長のもとへ連行され、しっかりと鉄拳を頂戴した。
 そして説教の最中にサマイクルが倒れた。医者の診断結果は風邪とのこと。
 罰として外出禁止を言い渡されていた彼は、現在自室でそれを守らざるを得ない状態になっていた。

 そしてほとんど絶望視されていたカイポクは、吹雪が通り過ぎたあとにひょっこりと自分の足で帰ってきて、誰もが腰を抜かした。
 三人もの子供が行方知れずになりながら、皆生きて戻ってきたのは奇跡だともいわれた。


 寒気がするのに体は火照る。
 ちぐはぐな感覚に浮かされながら、ぼんやりと天井を眺めていた。
「生きてるかサマイクル。」
 同じ処分を言い渡されていたはずのオキクルミが見舞いにやってきた。病床の身ながら忠告しようとも思ったが、ちょうど心細さが増していたところだったのでやめた。
 オキクルミの足にはしっかりと包帯がまいてあり、ひょこひょこと片足をひきずりながらサマイクルの傍らに腰を下ろした。本来なら彼も安静にしているべきなのだが、暇を持て余しているらしい。
「ヨモギ茶、飲むか?」
「のむ。」
 持ってきた湯飲みを差し出し、思ったよりしっかりした返事にほっとしながら、サマイクルが体を起こすのを手伝った。
「それにしても、納得いかないな…。カイポクは無傷で戻ってきたのに…」
 助けに行ったつもりの方といえば、片や足挫き、片や風邪っ引き。
 そんな二人を迷子になっていたカイポクの方に心配されてしまった。ちなみに彼女にも外出禁止令が出されている。

 オキクルミの愚痴を半ば聞き流しながら飲み干して、サマイクルは再び床へ横になった。
 だるそうな様子を見て、オキクルミがたずねる。
「…どうして“白い隼”とやらに自分の面をわたしたんだ。」
 仮面を外さなければ、狼の姿をとかずに済んだ。獣姿の方が、幾分か寒さにも強い。
 サマイクルは口篭ってから、
「……こわかったんだ。それを手放してしまったら、オキクルミがどこかへ行ってしまいそうで…。」
 オキクルミの命が、風にさらわれてしまう気がして。手のひらに食い込むほど強く握りしめていた。
 ああ、この友は自分と同じことを考えていたのだと、オキクルミはすっと目を細めた。
 自分も、炎の輝きをサマイクルに見立てていたのだった。

「…そんなはずがあるか。」
 強がって言うと、手持ち無沙汰に額のぬるくなっていた手拭いを水にひたして、冷えたそれを乱暴に額へ戻す。
 ろくに絞っていなかったため、べしょっと音を鳴らして水をしたたらせ、サマイクルの顔をびしょ濡れにした。
「ぶあ…やるならちゃんとしぼれ…。」
「細かいやつだな。」
「そういう問題ではないだろう。」
 そんな会話をかわしながら、今度は固くしぼった手ぬぐいが額に押し当てられる。ひやりとする感触が心地良い。
 落ち着いたのを見て、オキクルミが一つの提案をした。
「動けるようになったら、例のポコンポンだかに言ってみよう。」
 聞いたことがあるようなないような単語を、ぼんやりする頭の中の辞書に照らし合わせる。
「…ポンコタンのことか? コロポックルの村へ何しに?」
「ほら、あれだ…カイポクが世話になったって言うし…」
 言葉を探すように口篭って、そして続けた。


「お礼参りってやつだ。」


 使い方はある意味正しいが、オキクルミが言うと別の意味を連想してしまい、思わず盛大に噴き出した。
 結果、激しく咳き込んで、オキクルミをやきもきさせてしまうサマイクルだった。


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2006/11/26

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