「妖怪の払い方、どこで覚えたんだ?」
「前に村長が話してくれたぞ。もしかしてまた寝てたのか?」
「カイポクも寒い思いしてるんだろうか…。」
「お前ほど無鉄砲ではないから、平気だろう。」
眠気が襲ってこないよう時折会話を交わしながら膝を抱えていたが、外の吹雪はまた一段と激しさを増していた。
正確な時刻は分からないが、それなりに時間は経っているはず。けれどおさまる気配の無い、轟音と言っていいほどに唸る風に、不安はいや増していく。
カムイの地は嵐をやり過ごすことを許してはくれないのだろうか。
そんな思いが頭をよぎる中、サマイクルがおもむろに立ち上がった。
自分の羽織っていた上着を脱いでオキクルミにかけると、そのかたわらに残りの枝の薪を置いた。
「あとどれだけもつか分からないが、火だけは絶やすなよ。」
事を飲み込めないオキクルミがたずねると、
「行けるところまで、行ってみる。」
カイポクを捜す大人に会えるかもしれないと、一人洞穴を出ようとする。
それを慌ててオキクルミが呼び止めた。
「行くんなら俺も…」
「その足では無理だろう。だから我が行く。」
譲ろうとしないサマイクルに、妙な焦りがオキクルミを煽った。
「俺が…」
一度口ごもって、続けた。
「俺がめちゃくちゃに走ってきたから、道だって分からないだろ。」
こうなる原因を作ったことを、まだどこかで認めたくなかった自分がいたが、一度認めてしまえばそんな自尊心はどうでもよくなった。
ただ、行かせたくなかった。そんな危険なことを、させたくなかった。
自分がカイポクを探しに行こうと言ったとき、サマイクルもこんな気持ちだったのだろうか。
「だからここで夜が明けるか、吹雪が止むまで待ったほうがいい!」
オキクルミが正論を説いたが、サマイクルも引かない。
「頼みの太陽はまだ山の向こう。しかも空は分厚い雪の雲でおおわれている。」
それもまた、事実だった。
そしてこのままいけば、二人とも凍え死んでしまうだろうということも。
「何もせずに二人で犬死するよりは、選択肢を増やして可能性を広げたほうがいい!」
「その増えた可能性のせいで、死ぬかもしれないんだぞ!!」
オキクルミが着物を握りしめた。その震える指先を隠そうともしなかった。
村の守り刀に悪戯をして、村長の拳骨から逃げる。そんな次元の話ではないのだから。
お互いに睨みつけていたが、サマイクルの視線がふっと和らいだ。
「おまえの守護神は、我らに宿りを与えた。」
熊の仮面の奥にある勝気な瞳を見詰め、
「我は我の守護神を信じる。」
隼の仮面も向こうで、力強く微笑んだのが分かった。
彼の頑固さは、オキクルミが一番よく知っていた。そのかたくなまでの決意に、オキクルミはついに折れた。
「おい、行くならこの上着…」
せめて渡された上着を返そうとするも、肩をすくめて首を振られた。
「我が戻るまで、あずけておく。おまえのその服、見てるほうが寒くなるんだ。」
狼の姿に身をやつしたサマイクルは、いつもの半袖を着ているオキクルミに背を向けた。
* * *
「―――空と土と海の精霊たちよ…」
この際、精霊でも妖精でも神でも、なんでもよかった。
「俺のせいなんだ。あいつはなんにも悪くない。…だから…」
半袖の上に着込んだ友の着物を握りしめる。震えをおさえ込むほどに固く、強く。
その一部が引き裂かれていて、着物と同色の包帯が巻かれた足を睨んだ。
祈ることしか出来ない自分が、不甲斐無い。
「だから、あいつを死なすな…!!」
祈っている間に、たき火が小さくなっていることに気付いて眉をしかめた。
まるで炎の強さが、友の命の輝きのような気がして。消えてしまうのが、とても恐ろしくて…。
「…くそっ…!」
そんな妄想を打ち消すよう乱暴に枝を放り込むと、炎が勢いを取り戻し、パッと輝いた。
* * *
横風に体がさらわれかけるのを、サマイクルはすんでのところで堪えた。
足を突っ張って雪を踏みしめ、高く吠えた。
しかしその遠吠えは吹雪にかき消されてしまう。来た時についたはずの匂いも芥ほどさえ残っていない。
再び突風が体の側面を直撃し、踏ん張りが遅れて地面に引き倒された。
絶望と寒さに目の前が白く眩みそうになる。
その時、こつんと胸で何か硬いものを押しつぶした。
「…オキクルミ…」
穴倉を出る直前に託された、オキクルミがいつも提げている、牙をあしらった首飾りだった。
『宝物なんだ。ちゃんと返せよ。』
四肢に力を込めると、風に飛ばされぬよう姿勢を低くして立ち上がる。
ブルブルと体を揺すって、まとわりついた雪を払いと落とした。また新しく積もる雪に体が白く染められたが、無視することにした。
二歩三歩とよろめくように歩くと、再び駆け出した。それは手掛かりもなく走り回る、無謀な行為だった。
助けるべき友人が、サマイクルの希望の光だった。
しかしそれから幾ばくもなく、懸命に走るサマイクルをつける影があらわれた。
カムイのどこにでもいる、なまはげだった。気付かれることなく近づいてくると、どこかから引き抜いてきたらしき立て札を振りかざし、サマイクルに踊りかかった。
「ギャンッ」
襲撃に反応することができず、力一杯に振りぬかれた打撃をもろに食らってしまう。
はじき飛ばされ、雪にめりこむように倒れ臥した。
轟々と唸る猛吹雪の中、とどめを刺そうというなまはげの近寄ってくる気配が感じられる。
頭に心臓があるかのように、ばくばくと警鐘が鳴り止まない。
――立ち上がれ、妖怪だ。
体を起こせ、牙を剥け。
足よ動け、爪を向けろ。
心の中で叱咤しても、極度の疲労と緊張で、体はピクリとも動かない。
ぎゅっと、雪を踏む音が聞こえた。触れられそうな距離まで近づかれ、初めてその足音を聞いた。
――ころされる…のか…?
絶望と恐怖に、サマイクルは固く目をつむった。
次の瞬間、吹き付ける風が和らいだのを感じた。
来るはずの第二の、そして恐らく最後になるであろう衝撃もこず、不審に思ったサマイクルは恐る恐る目を開いた。
その蒼穹のような双眸に映ったのは、真っ二つにされた立て札を打ち遣って逃げる、なまはげの後姿だった。
雪の塊をみたのだと思った。
しかし目を凝らしてみるとそれは誤りで、目の前に白い鳥がいるのだと気付く。
その鳥が鷲鷹の類だとは理解できたが、鷹なのか隼なのか、霞がかかった目では分からない。
大きく翼を広げてサマイクルの小さな体を包み込んで、吹雪く風を遮ってくれていた。
「…おまえが助けてくれたのか…?」
掠れる声でどうにか礼を言うと、立ち上がろうとして、かなわなかった。
「我におまえのような翼があれば、すぐに助けを呼べるものを…。」
――翼がもげようと、オキクルミを連れて村まで羽ばたくものを――。
「おまえ、我の言葉が分かるか? 分かるのなら…」
首飾りを外そうとして、やめた。
代わりに自分の面を額から落とした。するとたちまち人の姿に立ち戻ってしまう。
オイナ族の仮面はカムイの精霊とのつなぎ。それなくしては、狼の姿をたもつことができない。
「もしオイナ族が近くにいるのなら、サマイクルがここにいるぞと伝えておくれ…。」
面を差し出すかわりに、オキクルミの首飾りをかじかむ手でしっかりと握りしめた。
そしてその場に倒れ臥し、そのまま意識を外に向けることはなかった。
仮面を託されたその隼は、苦労しつつもオイナ族の子供を、ひときわ太い幹の根元に運んだ。
わずかではあるが、吹き付ける風が軽減される。
大きな翼を広げると、吹雪に負けぬ力強さで羽ばたき、仮面を掴んで光のない黒い空へと舞い上がった。
* * *
――たとえあの鳥の便りが間に合わずに、我が凍えてしまったとしても
この首飾りを頼りに、オキクルミを捜してくれるはず。
妖怪が襲ってこようとも、これだけは手放すものか。――
内なる意識の中、それだけを強く想う。
胸の前で首飾りを握りしめるその姿は、まるで祈りを捧げているように見えた。
口よりも先に手が出て、言うより先に行動する、無鉄砲な激情家だけど。
自分にないものをたくさんもっているオキクルミが、サマイクルは大好きだった。
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2006/11/18