本に囲まれた部屋を、暖炉の明かりが夕日のように染めていた。
その暖炉のそばで、隼をかたどった面のオイナ族の少年が本を眺めていた。
しかし仮面の奥からの視線はどこかうつろで、本を持つ手は頁を手繰ろうとしない。
面で見えない表情とあいまって、まるで時が止まっているかのような空間を作り出している。ゆらめく暖炉の炎が作る陰影と、やかましく唸る外の吹雪が、確かに時が動いていることを示していた。
「サマイクル!」
声とともに勢いよく扉が開かれ、冷たい風が吹き込んでバラバラと頁をめくった。
入ってきたのは、熊の面をかぶった同じ年頃の少年だった。乱暴に、ただししっかりと扉を閉めてから隼面の少年、サマイクルに向き直った。
「カイポクを捜しにいこう!」
挨拶もなしに、来訪の用件のみを伝えた。そしてそれを聞いたサマイクルは、静かに首を横に振った。
「今おとなたちが懸命に捜しているのだ。我らのような子供が何の力になろうか。」
年齢に見合わない大人びた口調でなだめるも、オキクルミはなおも食って掛かる。
「おまえ、カイポクが心配じゃないのか」
「そうは言っていないだろう。」
「さては臆病風にふかれたな!」
「落ち着け、オキクルミ。」
本を閉じ、いきり立つ友人を見上げる。その冷静な態度は、逆にオキクルミの高い矜持に火をつけた。
言い募ろうと口火を切りかけたが、閉じられた本に目を落とし、唇をかんだ。
「…もういい!」
幾分気をそがれたものの、行き場の無い怒りにも似た感情が後押しして、オキクルミは癇癪をおこしたように踵を返した。
「おまえみたいな薄情者に相談した俺がばかだった」
「…オキクルミ…?」
さすがに驚いたようにように床へ本を置き、友人のいからせたような背に問いかける。
「腰抜けは家の中で本でも読んでいろ!!」
吐き捨てると乱暴に戸を開け放ち、オキクルミは吹雪の中へ飛び出した。
サマイクルの制止の声にも振り向かず、狼の姿に変わってあっという間に見えなくなってしまった。
「ああ、もう!」
慌ててあとを追おうとするも、開け放たれた戸口から吹きつける烈風にぶるりと身をすくませた。
一枚しっかりと上着を羽織ると、吹き消される寸前の足跡を追いかけた。
カイポクがいなくなって、もう随分と時間が経っていた。
太陽はとうに沈み、月も星も分厚い雲の上。自然の光はいっさい期待できない。
それでも迷子を捜すだけなら嗅覚の鋭いオイナ族の十八番。しかし、折り悪くこの日カムイは大寒波に見舞われていた。降りしきる豪雪に足跡は埋まり、吹きすさぶ風に匂いは千々にかき乱された。
オイナ族の大半の男はカムイ中をしらみつぶしに捜し回り、残された女はその留守を守っていた。
その混乱の最中、二人は見咎められることなくウエペケレを出て、村から子供がもう二人いなくなったことに誰も気が付かなかった。
* * *
「―――」
サマイクルは友の名を叫んだが、それは徒労に終わり、轟々とうなる暴風にかき消された。
先を行くオキクルミの姿が吹雪の向こうへとけ込みそうになるのを、必死に後を追った。
「やみくもに走り回るな!我らが遭難しては元も子もない!」
手がかりもなく走り回るのは無謀と言うほかない。
己の思うままに行動を起こす。それはオキクルミの長所ではあるが、今回ばかりはそれが仇となった。
降り積もる雪に地面は隠され、おまけに視界も悪い。
隠れた斜面に気付かず足をとられ、しまったと思った時には小さく悲鳴を上げて斜面を転げ落ちていた。
突然オキクルミの影が消え、風下にいたサマイクルは同時に小さな悲鳴を聞いた。
足跡が途切れ、すぐ横に削り取られたような跡が急斜面についていた。
迷うことなく斜面を下る。固まっていない雪と勾配に足がとられそうになりながら、オキクルミのもとへ急いだ。
「オキクルミ!」
下まで降りると人の姿に戻ったオキクルミがうずくまっている。サマイクルの姿をみとめると、弾かれたように顔をあげた。
「サマイクル…!?」
てっきり自分ひとりで突っ走っていると思っていたのに、驚きを隠せない。立ち上がろうとして足に痛みが走り、小さくうめいた。
「どこか痛めたのか?」
サマイクルも人の姿に身をうつし、足の様子を見ようと身をかがめた。
その背後の黒い空に、オキクルミは何かを見た。
「サマイクル、上……妖怪だ!!」
必死な二人を働き者と見たのか、唐傘を背に宙を舞うなまはげがこちらを見下ろしていた。
武器もなく子供二人だけのこの状況では、たちまち食い殺されてしまうのは目に見えている。
「くそ…!」
オキクルミが悪態をつくのを、サマイクルがそっと制した。
「これは驚いた!」
不意を突かれ、急降下の体勢にはいっていたなまはげが、声を上げた子供をぎろりと睨んだ。
「歩くにも難儀する吹雪の夜というに、そんな中を飛び回るとはなんとも働き者なことよ!」
わざとらしく腕を広げ、心にも無い台詞でなまはげを称えてみせた。
するとなまはげは困ったように頭をかき、助けを求めるように辺りを見回して、落ち着かない仕草をした。そして困り果てた様子で風にさらわれるように飛び去り、二人の前から姿を消した。
なまはげがすっかり見えなくなってから、サマイクルはようやく胸を撫で下ろした。
村長から聞いた話を覚えていて良かったと、心の底から村長に感謝した。
「サマイクル、あそこを見ろ」
オキクルミがまた何かを見つけたのには一瞬肝を冷やしたが、今度こそそれは彼らにとって僥倖だった。
「熊の穴だ。あそこで吹雪をしのごう。」
「…穴に宿主がいたらどうする。」
もっともな質問に、オキクルミは何てことないように答えた。
「熊は俺の守り神だ。間借りくらいさせてくれるさ。」
自信満々な物言いが逆に不安をつのらせるが、この身を切るような寒さには抗いようもなく。
オキクルミの腕を肩にかつぎ支えて、足を引きずりながらサマイクルはこわごわとその穴倉に向かった。
「どうやら、主のいない穴らしいな。」
浅くはないが、そう深くもない。変わらず空気は冷たいが、吹雪の直撃はまぬがれることができた。
オキクルミを座らせると、サマイクルはその洞穴に危険がないことを確かめ、オキクルミに背を向けた。
「お…おい、どこ行くんだよ。」
「心配するな、すぐ戻る。」
それだけ言うと、小走りで駆けていってしまった。
暗い穴倉に一人のこされて心細くないと言えばうそになるが、言った通りしばらくしてすぐに戻ってきた。
その腕に抱えられるだけ一杯の枯れ枝を持って。
「立ち枯れた木から拝借してきた。」
空気を含ませるよう放射状に枝を組むと、懐から紙の包みを取り出す。紙包みには火打道具が入っていた。
その紙をねじって紙縒りを作ると付け木の代わりにして、石と鋼を打ち合わせて火くちに火をつけると、縒らずに残した部分に火を移した。
できた火種で組んだ枝に火をつけると、一本二本と燃え移っていき、大きくなった炎が洞窟内を照らし出した。劇的に暖かくなるわけではないが、目の前に火があるとないとでは安心感が格段に違う。
「用意がいいな。」
「おまえが考え無しなんだよ。」
明るくなったところで、サマイクルはオキクルミが痛みを訴える足から長靴を脱がせた。
「挫いているようだな。」
腫れてはいるが骨は折れていない様子なのを確認すると、慣れない手つきで上着の一部を長く引き裂いた。その包帯の代用品で以前自分が捻挫したときにされた見よう見まねでオキクルミの足に巻きつける。
子供がした気休め程度の処置ではあるが、動かないように足を固定した。
「医者じゃないからこれで大丈夫か分からないが、とにかく動かさない方がいい。」
「あー、分かった分かった。」
「…信用ならんなぁ…。」
おざなりな返事に、サマイクルは溜息混じりに呟いた。
その声はしっかりとオキクルミの耳に入り、仮面の向こうでムッと顔をしかめた。
「冗談だ、冗談。」
それに気付いたサマイクルがぞんざいに言って、二人は黙った。
しばらくの間があって、二人同時にふき出した。
笑い声が薄れて、今度こそ沈黙が訪れた。吹き続ける風と、炎のはじける音のみが耳に入ってくる。
身を寄せ合うようにして膝をかかえ、揺れる炎を眺める。時折、サマイクルが焚き火の中に枝を放り込んでいた。
沈黙が気まずい間柄ではないが、オキクルミはどこかそわそわと落ち着きが無い。
そして、意を決したように口を開いた。
「…その…さっきは悪かったよ。」
ここに来るまでに色々とありすぎて、どのことを言っているのかと、サマイクルは俯きがちなオキクルミを仰ぎ見る。
「お前だって、カイポクのこと心配してないはずないもんな。」
一方的にがなり立てて飛び出した挙句に彼まで巻き込んで、カイポクを捜すどころか自分たちが遭難してしまった。
「なんだ、そんなことか。」
気にしていないことを伝えると、見る見るホッとした雰囲気に包まれる。
思わず涙が出そうになって、オキクルミは誤魔化すようにはにかんだ。
「本を逆さまに読んでるのに気付かないくらいカイポクを気に掛けてたのに、あんなこと言ってしまってさ。俺、気恥ずかしくなって…」
「な…ちょっと待て! 我は普通に読んでいたはずだ!」
「逆向きだったてば。」
「そんなはずはない、よく思い出せオキクルミ!」
サマイクルの耳が赤いのは寒さからのものだけではなさそうで。
本の中身が頭に入ってこなかったことの自覚はあるらしいが、自他共に認める読書家の彼は逆さに本を開いていたことを認めたがらない。
生真面目で勉強家で、でもどこか抜けていて。そして、頑固者で。
そんなサマイクルが、オキクルミの大切な友人で、大好きだった。
2→
2006/11/11