九龍妖魔學園紀

膝枕


「いつかなくしたぁ〜あの日の夢ぇ〜♪ っとくらあ。」
 気持ち良く歌いながら生徒会室のドアを開けた夷澤は、ソファに先客を見つけてうろたえた。
 今日は早めに来たつもりだったのだが、うかつだった。調子の狂いまくった歌を聞かれてしまっただろうか。
 散々にコケにされるのを覚悟したが、その先客、神鳳は押し黙ったまま動かない。
 自分にも他人にも礼儀作法に厳しい彼が挨拶もなしとは珍しい。
 そう思ってよく見てみると、
「ひょっとして、寝てんのか?」
 ソファに深く身を預け、規則正しく胸を上下させている。
 硬質に黒光りする生徒会室のソファはその見た目通り上質なもので、硬すぎず、それでいて沈みすぎない絶妙なバランスの代物。
 はっきり言って寮のベッドよりも寝心地がいい。
 今日夷澤が早めにやって来たのも、ソファでゴロゴロしてやろうというやや小者じみた目論見があったからなのだが。
 眠っているとはいえ、いくらなんでも人前でそんなことをできるはずもない。

 会議に必要な資料が神鳳のわきに置かれている。
 それを見るに、神鳳もいつもより早く生徒会室を訪れて資料の準備を済ませ、一段落ついたところでうっかり寝入ってしまった。
 と、いうことらしい。

 ――これは、起こした方がいいのだろうか?

 夷澤としてはこの貴重な寝顔をじっくりと眺めていたくはあるのだが、後でなぜ起こさなかったのか問われるのも面倒ではある。
 まさか「好きな人の寝顔を見ていたかったもんで」なんて馬鹿正直に言えるわけがない。
 かと言って「疲れてそうだったから」なんて言い訳がましいし、自分らしくない。何よりも照れくさい。
「おーい、神鳳サン」
 軽く肩を揺すってみると、それに合わせて神鳳の首が揺れて、反対側の肩にこてんと傾いた。
 これといった反応もなく、すぐに静かな寝息が聞こえてきた。ちょっとやそっとのことでは起きそうにない。
 どうやら相当に珍しいものを見ているらしい。

 そこで夷澤は天啓を得た。と言っては大袈裟だが、とにかくひらめいた。
 当初の目的を果たせ、それでいてプラスアルファな行動を。
 多少のリスクはともなうが、この際無視することにする。
 そうと決めたら神鳳のかたわらにある資料の束を、向かいのソファに放り投げた。
 きちんとホチキスでとめてあったお陰で目立った乱れはない。
 神鳳の隣、一人分あいているスペースにごろりと寝そべる。流石にソファの端から足がはみ出るが気にしない。
 そして頭を、神鳳の腿に着地させた。


 膝枕。


 後頭部の幸せな弾力に夷澤の頬がゆるむ。
 下から覗き込むかたちになって、横からは髪にさえぎられて見えなかった寝顔がよく見えた。
 無防備な唇が悩ましい。

 眺めてよし、寝ても幸せ。
 神鳳が起きないのを良いことにその状態にひたっていると、
「♪明日も探し続けー………!?」
 軽い調子で歌いながらやってきた双樹と、思い切り目が合った。

 数瞬の間があって、腹筋の力だけで上体を起こした夷澤の素早さは、まさにボクサーの鑑だった。
 一方の双樹はつねづね感じていた夷澤の秘め事を確信して、偽悪的な笑みを浮かべた。
「ふーん、そういうコト?」
「いやっ、これは…エア膝枕っすよ! 腹筋を鍛えるために!」
「へーえ?」
 だいたい双樹の勝ちに終わるいつもの論争。今日の夷澤はいつも以上に支離滅裂だった。
 その喧噪にようやく神鳳は目を覚ました。
 夷澤と双樹が来たことに気付かなかった己のうかつさを呪いつつ小さく伸びをする。
 その傍ら、二人の掛け合いはすでに膝枕からは遠く離れたものになっていて、何がきっかけだったのか神鳳には想像もつかない。
 ひょっとしたらそれは双樹の遠まわしな気遣いなのかもしれないが、当の夷澤は気づくよしもない。

 ただ、神鳳が疑問に思ったこと。
 せっかく作った資料をぞんざいに扱った覚えがないこと。
 そして、膝にほのかな温もりを感じるのは気のせいだろうか、と。



2008/10/19

←BACK
inserted by FC2 system