犬夜叉

親子討伐記


「お呼びでしょうか父上。」
 音もなく障子の向こう側に影が写り、室内の人物に問いかけた。
 入るように命ずると静かに障子が開かれ、臣下の礼をとった彼の息子が姿をあらわした。
「待っておったぞ。」
 来訪を労い、近くへきて座るよう促すと、殺生丸は父の向かいにある敷物に腰を下ろした。
 腰を落ち着けたのを見計らって、父たる犬の大将は呼びつけた用向きを話し始めた。
「昨今、我が領内にて見目の麗しい女妖怪を狙うあやかしがいるらしいのだ。」
「はい、そのことならば聞き及んでおります。」
 館の中でも噂話としてささやかれていることだった。
 度々出没しては身形の美しい女妖怪をさらっていくのだが、ことのほか逃げ隠れが巧みで、なかなか尻尾をださない。
 おまけにさらわれた女はそのまま戻ってこないか、むごたらしく殺したとおぼしき残骸が見つかるだけだった。
 もはや並みの妖怪では歯が立たぬとみて、その領地を支配している大将にお鉢が回ってきたのだろう。

「知っているのなら、話は早い。」
 そう頷いたものの、彼はその先を続けるのをためらうように腕を組んだ。
 快活な父らしからぬ態度に、殺生丸はわずかに首をかしげた。
 “一人赴いて退治てこい”とでも命じるつもりなのだろうか?
 そうだとしても、殺生丸自身はその命令を不服とも理不尽とも思いはしないのだが。
 思考を巡らせていると、覚悟を決めたのか父がおもむろに顔を上げた。


「何も言わずに女の着物を纏ってくれぬか。」


 何を言われたのか考えあぐね、しかしそれは他でもない自分に向けられた言葉なのだと認識するや、殺生丸は怒りのあまり真っ赤に眼を染めた。
「お嬲りなさるか父上!!」
 怒るもの最もな話、と父は冷静に息子を宥めにかかる。
「嬲る気などない。そなたが適任と思えばこそ、こうして頼んでいるのだ。」
 息子にこんなことを頼むのは心苦しいものがある。自分がやれと言われたら、正直言って力いっぱい躊躇することだろう。
 がっちりとした体格を持つ彼にしてみれば、詮無い事かも知れないが。
 ともかく、被害にあった者は片手の指を超えて久しく、領地を治める大将の責任もいがめない。
 これ以上放置すればそこから亀裂が走り、治まった戦乱がまた息を吹き返さないとも限らない。

「そこで殺生丸、こなたに肝心要の囮役を頼もうというのだ。」
「私など使わずとも、適当な女を立てればよろしいでしょう。」
 息子の反論に、父は肩を竦めてみせた。
「敵の正体も分からぬのに、そのような危険な真似はさせられぬ。」
「父上の御為ならば命をなげうとうという者くらい、いくらでも居りましょうに。」
「…殺よ、そのようなことを言っていては女子に嫌われてしまうぞ。」
「女に好かれようとは思いませぬ。」
 あんまりな言い様に父が苦言を呈すると、殺生丸はさも当然と言うように父大将を見据えた。
「戦に女子供は邪魔なだけです。」

 ――お前だってまだ子供だろうに。

 そう思いはしたが、口には出さず賢明にも飲み込んで。
 迷いもてらいもない真っ直ぐな表情に苦笑を禁じえない。
 愚か者よと蔑視するでもなく、ただ若い頃の自分と重なって見えて。
 ただし、自分は女にそこまで潔癖ではなかった気もするが…。
「…まあ、そなたもいずれ分かる時がこよう。」
 たかが女と侮れぬ面があるということに。
 感慨深く頷いている父親に、息子は何か間違ったことを言っただろうかと疑問符を顔に浮かべていた。

「殺…」
 愛称を呼ばれて、びくりと殺生丸の肩が揺れた。反射的に、背筋が伸びる。
 低く囁くような声音に弱いことを逆手にとって、卑怯とは思いながらもその声音のまま続けた。
「そなたの強さと器量を見込んでのことなのだ。頼まれてはくれぬか?」
 西国に君臨する犬の大将の息子という肩書きはだてではない。同時に、まだ少年と言っても差し支えない齢ながら、その幼さを残した美貌は広く知られ、一目置かれる存在だった。
「……承知…いたしました。」
 不承不承の態ながらも頷いたのを見て取り、父大将はぱっと顔を晴れ渡らせた。
「そうか、やってくれるか! ならば早速着物を選ばねばな!」
「はあ……。」
 困り顔の息子に気付いているのかいないのか。父はてきぱきと傍らの長櫃の蓋を開け、美しい染め模様の小袖を引っ張り出してうきうきとしている。
 そんなものを用意していたあたり、断らせるつもりはこれっぽっちもなかったらしい。
「これはそなたの母が残していったものだが、これを仕立て直そうか。ああ、それともいっそのこと新しいのをあつらえさせようか?」
「父上…なにゆえそんなにまで生き生きとなさる……。」
 なにが悲しゅうて息子の女装道具をそろえる父を見なければならないのか。
 殺生丸は泣きたいのをぐっとこらえていた。



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2006/09/17父上の名前が分かりません(泣) 続きます。
2011/12/12少しだけ文章を編集しました。

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