互いの連れ合いから離れ、二人きりで会うのもすっかり習慣のようになっている。
その日、珍しいことに日のあるうちに二人は巡り合った。
犬夜叉一行が宿を取った村の近くにある山を、警戒もかねて弥勒が散策していた折の事。
偶然なのか、はたまた殺生丸の気が向いて探しにきてくれたのか。
聞いたところで答えてはくれないだろうが、弥勒にとっては思いがけない幸運だった。
今日も今日とて、木漏れ日の下で飽きることなく愛しい妖怪の髪を撫でさする。
「これだけ長いと、ご自分の髪で溺れてしまいそうですなあ。」
琵琶を爪弾くように銀糸に指を這わせながら弥勒が呟いた。
殺生丸の霜髪には絃のような弾性はなく、指から流れるようにさらりと滑り落ちる。
真っ直ぐに伸ばされた柔らかな髪は腰を遥か過ぎるほどに長い。
「そのようなへまはせぬ。」
まるで想像通りの返答に弥勒は苦笑する。
銀髪を手に取り口付けた。犬の妖怪でありながら、不思議と獣臭さは感じない。
夜半の月明かりに照らされて光を放つのは趣があるが、日の光を力強く弾き返す輝きも殺生丸らしくあって美しい。
「ですが、絡まって溺れてみるのもなかなかに楽しそうだとは思いませんか。」
「……酔狂な。」
確かに、自分の髪に絡まってもがくというのは余りにも間抜けかもしれない。
それでも、弥勒は思う。
「夏はこの涼やかな髪に流され、冬はその毛だまりにもたれて微睡むのは、さぞや心地の良いことでしょうなあ。」
弥勒自身はもう溺れているのだ。初めて会った瞬間から、この大妖怪に。
しかし岸に帰りたいとは思わない。
夏の刺すような日差しも、冬の裂くような烈風も、あなたが傍にいればこの身に堪えない。
―――あなたと、いつまでも……。
「私は日除けに風除けか。」
「そんな直接的にとらないでくだされ殺殿……。」
弥勒の心中などお構いなしにすげないことをのたまう。
言語遊戯の類は好まないかもしれないが、言葉の綾を読むのが暗いわけでもあるまいに。
「つまりですね、夏も冬もあなたと共にいたいのだということですよ。」
弥勒の言葉に殺生丸はつと視線をそらす。
彼が照れたときに取る行動なのだと、とうの昔に気が付いていた。
「……春と秋はどうするのだ。」
取り繕うように、殺生丸が問うてくる。
そう、たとえば暑くもなければ寒くもない、今日のような日は。
「そうですなあ、暖かな木漏れ日と爽やかな風の中で、わたしが殺殿を抱擁してさしあげましょう。」
こんな風に、と殺生丸を胸に抱きこんだ。
楽しそうに己の顔を見下ろしてくる男の顔を上目で仰ぎ見て、呆れた様を隠そうともせずに息をつく。
「いつもと変わらんではないか。」
「おや、お嫌ですか?」
確信的な顔を向けられて殺生丸は再び目をそらす。
こんな人間ごときに流され、そして溺れているのを自覚するのが癪に障る。
しかし弥勒に見詰められていると、それが氷解していくのが未だに不思議だった。
人間ならばその感情の答えはすぐに分かるようなものだが、生憎と殺生丸は妖怪で、更にはその類のことにはとんと弱い。
それでも、二人は同じことを思う。
この変わらない時間がいつまでも続けばいいと、そう思う。
「髪に溺れるのなら、冥加様ほどに小さければ叶いましょうなあ。」
「……止せ、鬱陶しい。」
間の抜けたことを言う口を、殺生丸は己の唇で黙らせた。
そのいつもとは違う自発的な行為を、弥勒は黙って受け入れた。
相変わらずその手は殺生丸の髪をくしけずる。
お互いに溺れているのを感じながら、二人はしばらく寄り添ったまま動かなかった。
2009/04/11