ひとときの逢瀬の最中、森の中にある付近で一番大きな木の上と下。
「たまには、殺殿からの口付けを貰いたいものですなぁ。」
そんな呟きを耳にして、殺生丸は木の根元に座す弥勒をちらりと見遣った。
「口付けならば貴様がいつもしてくるだろう。」
「ええ、ですから“殺殿から”ということに意義があるのですよ。」
張り出した太い枝に腰掛ける殺生丸を見上げ、愛しい者から求められることの喜びを力説してくる。
恋仲となってから幾度も交わされた口付け。正確には、まだそこまでしか進んでいないのだが。
弥勒が言うように彼から口付けを求められ、与えられ、それを喜びと感じるかはよく分からない。
ただ、嫌悪はない。それだけは言えることで……
「……してやらんこともない。」
「本当ですか!」
蚊の鳴くような声だったにもかかわらず、弥勒は耳聡く聞きつけて思わず立ち上がった。
その先へ考えを巡らせようとして口をついて出た言葉に、殺生丸自身おどろく。
珍しく戸惑っている様子なのを感じ取り、そっぽを向いた彼に弥勒は微笑みかけた。
「では殺殿、気が変わらぬうちに。」
諸腕を広げてうながすと、殺生丸は観念したようにふわりと枝から身を滑らせた。
地に足がつくとひとまず広げられた弥勒の腕に包まれる。
この腕も嫌ではないと、殺生丸はそう思う。
抱き締めながら背に流れる殺生丸の艶やかな髪をしばらく愛でた後、僅かに体を離して本題に入る。
「さあ、どうぞ。」
じっと見つめあう形になり、
「やりにくい、目を閉じろ。」
という殺生丸の意見に従って、しかたなく爛々と輝かせていた目を閉じた。
「どうせならねっとりと舌を使ってほしいですなぁ」
「少し黙れ。」
「……ハイ。」
低く言って口の減らない弥勒をひと睨みするとようやく口をつぐんだ。
目を閉じてはいても、その眼力は目蓋を突き破って脳を硬直させるような迫力がある。
それでも滅多にないこの状況にどうしても口元が緩んでしまう。
相手の顔が近づいてくるのが分かった。お互いの吐息さえ感じられる距離。
これ以上ないくらい距離が縮まり……
ぺろり
唇をなぞる感触。
「……したぞ。」
「しましたか。」
口付けと言うには幼く、まさに犬がじゃれついて舐めてくるような感じのそれ。
「貴様の望む通りにしてやったろう。」
何が不満だとばかりにねめつけてくるも、先程のような威圧は感じられない。
そもそも今のは口付けなのだろうかという不満が無いわけではない。
けれど、自分の言葉を酌んで彼なりに情愛を示してくれたのは素直に嬉しい。
そう考えると不満などあるはずもない。
「天にも昇る心地とはこのことですなぁ。」
にやけた口元を隠そうともしない間抜け面をさらす弥勒を、そんなに嬉しいものなのかと不思議そうに眺める。
「そんなしおらしい殺殿も良いのですが…」
生まれてこのかた、しおらしいなどと評されたのは初めてで、殺生丸は眉根をよせた。
自分のどこにそんな風に思わせるものがあるのだろうかと考え始めた矢先に、今度は弥勒の方から口付けてきた。
どうにもこの男の前では警戒心が薄れるらしい。
口腔内を思うがままに蹂躙されて、舌を使えとはこういうことかとぼんやり理解した。
「やはり、こういった口吸いにも慣れてもらいたいものです。」
ついでに頬にも唇を落とし、満面の笑みを向けてくる。
余裕綽々としているのが気にくわない。
「うつけが……これでは普段と変わらんではないか。」
「ですが、この方が性が合っているようですな。」
そのことに異を唱えることはない。
それでも、心底嬉しそうな弥勒を見ると、さっきのようなのも悪くはない。
ほんの少しだけ、そう思った。
2008/02/10