犬夜叉

旅の交差


 奈落の行方を求めて東奔西走する犬夜叉たち。
 その日は人気のない山中で日暮れを迎えてしまい、野宿の場所を探していた折の事。
 山道を逸れた小川のほとりに腰を据える一団、奈落を追う者の一人である殺生丸とその一向に巡り会った。
 会えば斬り合いになる兄との邂逅に犬夜叉は色めき立つが、殺生丸に剣を抜く気はないらしい。
 彼が何を考えているのかのみならず、小川のほうへ目をやっているがその流れを眺めているのか別のものを見ているのか、それすらも推量しがたい。
 実に気紛れで恣意的だが、戦う気がないのならそれに越したことはないというのが人間たちの本音ではある。
 犬夜叉が挑発して殺生丸の逆鱗に触れないうちに立ち去ろうとして、かごめの目に入った小さな影。
 双頭の竜の影で事の成り行きを見守っていたりんと目が合って、何とはなしに声をかけた。
「ねえりんちゃん、ご飯もう食べた?」
 りんは「まだだよ」と首を振った。

 ひっくり返されたかごめの黄色い背負いの中身にりんは目を丸くしていた。
 お椀の口に薄い蓋を張り付けたようなものがたくさん入っていた。
 表面は漆を塗ったかのようにつやつやしていながら染められた着物のように色鮮やかで、描かれた絵は見たこともないほどに精巧なものだ。
「これ何の絵?」
「それはラーメンっていうの。おそばに近いかな。」
「このなかに入ってるの?」
 お椀を振っても固い音しかしないのに疑問顔をするりんにかごめが作り方を説明している間、弥勒と珊瑚が湯を沸かし始める。
 殺生丸が特に口をはさんでこないので、人間衆はちゃっかりここを野営の場所に決めたらしい。
 七宝は初めこそ殺生丸に怯えていたが、今はかごめの横でりんとはしゃいでいるし、雲母は転寝をする阿吽の尻尾にちょっかいを出している。
 殺生丸は少し離れた木の根元で無関心に小川に目を向けたまま、未だ一度もこっちを見ていない。
 犬夜叉は憮然とした面持ちで仲間たちの動向を眺めていて、邪見も自分と同じような顔をしていることに気づく。
 邪見と仲間意識を持つのは癪なので、気を取り直して七宝に取られないうちに好物のカップ麺の確保をすることにした。
 そしてお湯を注いで3分待つ間、かごめは思い出したように訊ねてみた。
「あなたたちも何か食べる?」
「いらんっ!」
 邪見の返答は予想通りだが、殺生丸が返事もしないのは予想外だった。

「はい、もういいわよ。」
 りんが驚かないようにベルが鳴る前に時計のタイマーを止めてかごめが告げる。
「しっかりかき混ぜてから食べるんじゃぞ。」
 すっかり先輩気取りな七宝の助言にりんは素直に頷いて蓋を剥がしている。
 こんなに大勢で、ちゃんと調理されたものを食べるのは本当に久しぶりのことで。
 日々を妖怪に囲まれて過ごすりんは、自分が人間なんだと思い出したような気分だった。
 楽しくはあるがどこか落ち着かなくて、殺生丸をちらりと見てそこに彼がいるのを確認すると、りんはようやくホッとしてラーメンに口をつけた。
 初めて食べるものだがりんの口に合ってくれたようで、かごめは自分のことのように嬉しくなる。
 ふと珊瑚を見ると、殺生丸を横目で見て首をかしげていた。
「殺生丸ってさ、普段はなにを食べるんだろう?」
 心持ち声を落として珊瑚が囁いた。
 妖怪である七宝よりも妖怪に詳しい珊瑚がわからないというのなら、かごめにわかるはずもない 。
 わからないと言うより、ものを食べる姿を想像できない。人食いの妖怪でないことは確かだが。
「うーん……鋼牙君ならなんとなく想像がつくんだけどね。」
 犬と狼で似たようなものなのに、その違いはなんなのだろう。
 それとなくりんに訊ねてみるも、何かを口にしているのを見たことがないと言う。
「でもあたしの食べる分は自分でとってくるから、殺生丸さまもそうだとおもうよ。」
 ふーふーと麺を冷ましながら事も無げに言う。
「りんちゃんは健気ねえ。」
 しみじみと言うかごめにりんは首を傾げた。りんにとっては殺生丸に会う前からの当たり前の習慣なだけなのに。
 それでもかごめにしてみれば、現代に帰る度にインスタント食品を持ち込む自分が横着者に思えてくるのだ。

 犬夜叉はそんな女衆の会話を聞くともなしに聞きながら、やはり殺生丸が気にかかる。
 邪見はこちらをちらちらと窺っているが、殺生丸は相変わらず興味を示そうとしない。
 それが気に入らなくて、湯気を立てるカップ麺片手にのそのそと殺生丸の前に移動する。
「お前も食ってみろよ。うめえぞ、かごめの世界の忍者食。」
 ずいっと鼻先に椀を突き付けると、殺生丸は眉を顰めて顔を引いた。
「……妙な臭いがする。」
「ん?……そうか?」
 嗅いでみるが特にいつもと違うところはない。
 確かに変わった香りは混じっているがほんの僅かであるし、何より美味しいのだから気になったことがない。
「保存料とかが殺生丸には合わないのかもね。インスタントの宿命だわ。」
「ちえ、そうかよ。」
 つっけんどんに言うと、ラーメンの残りをかき込んだ。
 一気に食べてしまうとすることがなくなってしまったが、他の仲間のようにりんを交えて四方山話に花を咲かせるのは性に合わない。
 手持無沙汰にかごめの荷物をあさり、にんまりとして手を止めた。
 かごめの注意がこちらにないのを確認して、手にした板状のそれをぱきんと一欠片折り、殺生丸の前に引き返す。
「だったらこっちはどうでえ。」
「なんだそれは。……墨か?」
「“ちょこれいと”とか言う菓子だ。」
 今度は興味を引いたようで、殺生丸は目の前に差し出された黒い物体に視線を落とした。
「変わった香りをしているな。」
「どっか別の大陸の実を使ってるんだってよ。食うんなら早くしろよ、手に持ってると溶けちまうんだ。」
 別の大陸という点に惹かれたらしく、急かされても殺生丸は犬夜叉の手にするそれをじっと観察している。
 そして驚いたことにそのままぱくりと食らいついた。
 溶けると聞いて手に付くのが嫌だったからだろうが、二人のやり取りに気づいた面々もこれには目を丸くした。
 コリコリと咀嚼する兄の口元を眺めていたがそれ以上の反応がなく、犬夜叉は訝しんで感想を求めた。
「で、どうだよ味のほうは?」
「苦いな。」
「……それだけかよ。」
「菓子と言うからには甘味があると思ったのだが。」
 あっさりした反応に犬夜叉は怪訝な顔をして、溶けて指にこびりついたのを舐めてみた。
「うげっ!やっぱ苦いじゃねえか!」
「犬夜叉、これ……“カカオ99%”じゃないの。」
 大仰に舌を出す犬夜叉に呆れたようにかごめが言うが、犬夜叉の反応は決して大袈裟ではない。
 商品名の通り砂糖など一切入っておらず、普通のチョコレートとは比べ物にならないほど苦いのだから。
「おおよ、おめーに騙くらかされて食わされたやつだ。」
「あんたが勝手に食べたんでしょ!」
 弟の草太が買ってきたが一口で挫折したものだ。大方処分に困ってかごめの荷物に忍ばせたのだろう。
 それを犬夜叉が「ちょうど甘いもんがほしかったんでえ」と大口を開けてかぶりついてしまった曰くつきのものだった。
 殺生丸はたかが苦い菓子一つで姦しいと言いたげに、言い争う二人に一瞥をくれることもなく視線を外した。
 かごめの「おすわり!」も飛び出したところでそろそろ仲裁に入ろうと弥勒が腰を上げ、異変に気がついた。
「兄上殿、どうかされたので?」
 殺生丸は震えを抑えるように胸元を握りしめており、乱れた呼吸を正そうと俯いた顔は蒼白だった。
「え…殺生丸さまどうしちゃったの?」
 うろたえて殺生丸に縋りつこうとするりんと邪見を弥勒が制していると、さすがに何事かと犬夜叉とかごめも口論を止めて殺生丸を窺った。
「お、おい、どうしちまったんだよ、気分悪いのか?」
 常ならば「うるさい黙れ」と言い放ちそうなものだが、そんな余裕すらないらしい。
 こんな事態は長年そばに仕える邪見ですら初めてのことで皆目見当がつかない。
 お手上げ状態の中、かごめだけは思い当たることがあって声を上げた。
「そうよチョコレートといえば、ネギと並ぶ犬猫にあげちゃいけないものの代名詞じゃない!」
「そ、そうなのか?」
 先ほどネギラーメンを完食した犬夜叉が不審げな顔をするが、そうとしか考えられない。
 雲母などは気をつけて食べさせないようにしていたが、なまじ犬夜叉がなにを食べても平気なので迂闊だった。
 殺生丸の常の姿からは想像しがたいが、本性は犬の化身たる妖怪。
 口にしたのは端の一列分だけだが、犬の性質が強いために過剰に中毒を起こしてしまったのだろうか。
 かごめは獣医ではないので詳しくはわからないし、そもそも妖怪に犬の症例を当てはめていいのかも疑問だが。
「殺生丸さま、だいじょうぶなの…?」
 りんが唯一状況を把握しているかごめを不安そうな目で見上げてくる。
「大丈夫よ、殺生丸は妖怪だもの。少し休めばよくなるわ。」
 事実すでに殺生丸の息遣いに乱れはない。
 未だ気分がすぐれないらしく毛皮に寄りかかり眼を閉じているが、先程にくらべればだいぶ落ち着いている。
 かごめが努めて明るく言うと、りんはホッと息をついて殺生丸の傍らに腰を下ろした。

 夜も更け、その日は早々に床に就くことになった。
 というのも、犬夜叉が不寝番を買って出て「とっとと寝ちまえ」と急かしてきたからだった。

 ――殺生丸が心配ならそう言えばいいのに。

 言う訳ないか、と思い直してかごめは忍び笑いを漏らし、寝袋に潜り込んだ。
 しばらくすると旅の疲れもあってか仲間達の寝息が聞こえ始める。
 犬夜叉はそれを横目で見て、座り心地が悪いのだと言い訳をして位置をずらしていく。
 最終的に殺生丸に手を伸ばして触れるか触れないかの場所に腰を落ち着けた。
 見ている者がいないのをいいことに、遠慮なく首をのばして殺生丸の顔を覗き込んだ。
 あまり男臭さを感じさせない白皙の面。同じ色の髪と瞳を持ちながら、自分とはこんなにも違う。
 幼い頃も、今も、自分はこの兄のどこにこんなにも惹かれるのだろうか。
 並外れた容貌に惑わされたのか、純血たる妖力の強大さに中てられたのか。

 ――両方……かな。

 犬夜叉は殺生丸以上に強く美しい妖怪に出会ったことがない。
 いたとしても、この兄以上の興味をそそることはないだろうという確信めいたものがあった。
 殺生丸は未だ目を閉ざしたまま身動き一つしないが、顔色はもういつも通りのものだ。
 目を閉じているだけかと思っていたが、ひょっとして眠っているのだろうか。
 もっとよく見てみようと顔を近づけようとした時、長い睫毛がぴくりと震えて犬夜叉は慌てて顔を引いた。
 ゆるゆると目蓋が持ち上がり、まるで寝起きのように目を瞬かせている。
「起きたかよ。」
 声をかけると「誰の所為だ」と言わんばかりに睨めつけてくる。
「暴れるんじゃねーぞ、そいつらが起きちまうだろうが。」
 相手の連れを出しにして犬夜叉が制する。
 犬夜叉が指さす方を見ると、殺生丸の傍らで丸くなるりんと大の字で転がっている邪見の姿があった。
 だからというわけでもないだろうが、殺生丸は横になったまま彼らを瞥見しただけで騒ぎ立てる様子はない。
 それとも、まだだるさが残っているのだろうか。
 犬夜叉は躊躇いがちに口を開いた。
「その、悪かったよ。あんなことになるなんて思わなくて……。」
 殺生丸は何も言わずに犬夜叉のほうへ視線を転じた。
 せめて許容の言葉の一つもほしいものだが、罵声さえもない。
「いいから寝てろよ。そりゃ、てめえならちっとくらい寝なくても平気なんだろうけどよ。」
 間が持たなくて言い繕うが、殺生丸は相変わらず黙ったまま犬夜叉の声に耳を傾けている。
 元々寡黙な性質ではあるが、ここまで何も言われないと居心地が悪い。
 何を考えているのかわからないのは昔からのことだが、それも度が増している気がする。
「……おれはさ、最近仲間の前で眠ることがあるんだ。こんなこと、昔殺生丸といた頃以来だ。」
 弥勒ならば手持無沙汰に面白い小話の一つや二つ飛ばせるのだろうが、犬夜叉は近況を語るくらいが関の山だ。
 返事はないとわかりきっているのでほとんど独白に近い。
 つらつらと話していてふと傍らに目を落とすと、殺生丸はまたも目蓋を下ろしていた。
「おれの話はつまんねーってか…。」
 不満はあるが、少しは信頼されていると思っていいのだろうか。

 野宿と言えば、昔二人でしたことがあったのを思い起こしていた。
 朔の夜なのに気を抜いて寝入ってしまった犬夜叉は、殺生丸の膝に抱かれ毛皮でくるまれて、父親の夢を見たのだった。
 殺生丸の寝顔を眺めていると悪戯心めいたものがこみあげてきて、殺生丸のすぐそばまでにじり寄った。
 髪の柔らかさに驚きつつそっと頭を両手ですくい上げ、自分の膝に置いて膝枕の形にしてやる。
 起きた時にどんな反応をするか見ものだとほくそ笑んだ。
「……そりゃ自分の毛皮のが居心地いいだろうが、寝にくけりゃ起きて一言いえば済むんだからな。」
 言わない方が悪いと、誰に言うでもなく呟いた。


* * *


 がくんと船を漕いで犬夜叉は目を覚ました。
 はっとして顔を上げると夜の帳は薄れ、それでも太陽はまだ顔を出していないような刻限。
 仲間たちの寝息も聞こえてくる。
 殺生丸のにおいがすぐ近くにあって昔を思い出し、睡魔に抗えなかった。
 目をこすりながらうっかり寝入った自分に舌打ちをして、違和感に気がついた。
 膝元にいたはずの殺生丸はおろか、その傍にいたはずのりんと邪見も竜ごと姿を消していた。
 しかし今まさに立ち去ろうとする後姿を認め、すんでのところで声をかけた。
「行くのかよ。もうなんともねえのか?」
「あれしきの毒など残らぬ。……さっさと忘れることだな。」
 本当に久しぶりに兄の声を聞いた気がする。
 確かに殺生丸からは昨日苦しんでいたような素振りは微塵も感じられない。
 それだけ言うと、振り返りもせずに森の奥に姿を消してしまった。
 己の無様な姿など覚えていてほしくないということだろうが、犬夜叉にとっては忘れるには惜しいものがある。
 初めて触れた髪の柔らかさ、膝の上の小さな重み。もうその感触はどちらも残ってはいない。
 あまりのあっけなさに昨日のことは幻だったのではないかと錯覚しそうになるが、一つ痕跡を見つけて犬夜叉は苦笑した。
 犬夜叉一行の人数分、川魚が転がっていた。

 ――世話になったってか。素直じゃねーの。

 自分のことを棚に上げてそんなことを思った。


「起こしてくれればりんも一緒に魚とったのになー。」
「殺生丸さまはとっとと犬夜叉から離れたかったから自らの御手でお前の朝飯をとってきたんじゃ。長居して数を取るはずがなかろう。」
「そうかなぁ。あ、邪見さま、殺生丸さま戻ってきたよ。」
 阿吽に跨るりんが焼き魚にかぶりつきながら無邪気に告げる。
「もうご用はお済みで?」
 殺生丸は邪見の問いには答えず「行くぞ」と一声かけただけだった。
 邪見は竜の手綱をとると殺生丸の後に続く。
 今朝がた空が白み始めるころ、殺生丸は邪見を蹴り起こしりんに焼き魚を放り投げて、早々に出立した。
 りんは犬夜叉たちに満足に礼を言えなかったことに後ろ髪を引かれたが、また会った時に言えばいいかと前向きに考えた。
 しばらく進んだところで殺生丸は「ここで待て」と言い置いて一人引き返し、今しがた戻ってきたのだった。
 何をしてきたのかはわからないが、すぐに戻ってきたのを見るに大した用事ではなかったのだろう。
「あ、ひょっとしてりんの代わりにお礼を言ってきてくれのかな?」
「なんであやつらに礼なんぞ言うんじゃ。あんな目にあったというに。」
「えー、でも……」
「邪見、りん、うるさい。」
 殺生丸の鶴の一声で二人は口をつぐんだ。



2009/06/28ネタが古いです(笑)

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