鋼の錬金術師

いちばん近くで


 まだ朝も早い、人気もまばらな時間。
 セントラルにある大きな墓地の一画に、一人の若き将校が佇んでいた。
 激戦の末、左眼に負った痛々しい傷を覆う眼帯は、今は付けていない。
 紺の生地に縫い込まれている階級は“准将”だった。

 ――なぁヒューズ、ほら見てみろ。
    …並んだぞ。

 彼は花屋で適当に買った花を、無造作に放り投げて供えた。
 かなり無礼だが、彼ならば墓石の下にいる彼も笑って許すだろう。
『相変わらずだなぁ、お前さんは!』
 言葉を発することができたなら、そう言って笑い飛ばしただろう。

 ――どうだ、参ったか。
    お前みたいにズルはしてないぞ。

 言葉を出さずに話しかけるように、彼はしゃがみ込んで墓石を見詰めた。

 ――どうだ、参ったか。

 もう一度心の中で呟いて、ぼんやりと花と墓石を眺めていた。


「………。」
 そろそろ戻ろうかと頭の片隅で思ったとき、体の左側にドンと軽い衝撃。
 感触で何かがしがみ付いてきたと分かるが、何分視界は常人の半分しかない。
 見えない左側へ首を思い切りひねってみると、己の鼻の影に見覚えのある髪が揺れている。
「――エリシア…かい?」
 確信を持って問いかけると、ひょっこりと顔を出して無邪気に笑った。
 最後に会った時より身長も髪も少し伸びていて、子供の成長の早さに彼は目を細めた。

「やっぱりロイお兄ちゃんだったね、ママ!」
「ふふ…そうね、エリシア。まだお早う、ねロイ君。」
 エリシアが呼びかける方に目を遣ると、二人の女性が歩いてくる。二人とも彼の知った顔で。
「グレイシアに……中尉…?」
 いつもの優しい微笑みのグレイシアと、ロイ同様きっちりと軍服を着込んだホークアイ中尉だった。

 グレイシアは自分の持ってきた花を丁寧に供えると、しばらく目を閉じた。
 ロイもホークアイもそれに倣う。
「いつも、ね。」
 彼女はロイに向き直り、続けた。
「エリシアと話してたのよ。月の命日に、私たちよりも先にお花を置いていくのは誰なのかしらって。」
「うん!だからね、今日ははやーく起きてきたの!…また負けちゃったけど。」
 エリシアはぷぅっと頬を膨らませて拗ねたように唇を尖らせた。
「でもね、分かってたんだよ。パパにお花持ってくるの、ロイお兄ちゃんだって。ね、ママ!」
 無邪気な親友の忘れ形見の姿に、ロイはつられて微笑んだ。

「あ、ところで…どうして中尉がここに?」
 エリシアとグレイシアは分かる。…が、何故補佐官であるホークアイ中尉がいるのかが分からない。
「ええ、電話に出られなかったので御自宅まで伺ったのですが…いらっしゃらなかったのでもしかしたらと思いこちらに。」
「そうしたら、そこで会ったのよね」
 そう云うことです、と頷くホークアイ。
 だが、それにしても…。
「…私の出勤時刻までまだ大分時間があると思うが…?」
 ホークアイは懐から書類を取り出し、ロイに手渡した。嫌な予感がするが、受け取らないわけにはいかない。
 それはぎっしりと書き込まれたスケジュール表だった。無論、ロイのもの。
「急遽予定追加です。」
「き…急遽にも程があるのではないかね…?…上層部からのイジメ…?」
「ブツブツ言ってないで一通り目を通してください。」
「うぅ…何もこんな所で渡さなくても…。……ん…?」
 大人しく読み始めたロイだったが、急に目を押さえた。
 ホークアイが声をかけようとするより早く、エリシアがロイの軍服の裾を引っ張る。
「ロイお兄ちゃん…」
「ん?何だい、エリシア?」
 しゃがみ込んで子供と目線を合わせると、エリシアの小さな手がロイの左眼の傷に触れた。
「いたいの?目、いたいの?だいじょうぶ?」
 心底不安そうな表情に、ロイは安心させるように髪を撫でた。
「大丈夫。痛くないよ、エリシア。」
「ほんとうに?ほんとうに平気?」
「ああ。平気だよ。」
 実際、痛みがあるわけではない。
「…本当に、大丈夫ですか?」
「中尉まで、心配性だなぁ。…ただ。」
「ただ?」
 グレイシアも心配そうに見上げてくる。
 ロイの見舞いに来たことがある彼女は、彼が負った傷の深さを知っていた。
「そんなに心配する程のことではないよ。隻眼だから片目に負担をかけるようでね、以前に比べて幾分視力が落ちたようなんだ。字がぼやける。」
 肩も凝るしね、と肩をぐりぐりさせながら書類を顔に近づけて読み始める。
 それでは更に視力が落ちるかも知れない。

 グレイシアは何か思いついたようにバッグの中をまさぐった。
「はいロイ君。これ、使ってみて?」
 差し出されたのは、四角いレンズの良く見知った眼鏡で。
「え…でも、これは…」
「いいから。私もエリシアも目は悪くないから、私が持っていてもこれを活躍させてあげることは出来ないもの。」
 そう言うと、自分からロイに眼鏡をかけさせた。
「…と言っても、度が合えばいいのだけど…。」
 ロイはきょろきょろと辺りを見回して、ホークアイの髪止めに目を留めた。
「中尉、バレッタ変えたかい?」
「え…ええ。良く分かりましたね。前のとあまり変わらないデザインのものなのですが…。」
「良かった。レンズの度は合うようね。はい、これケース。」
「…ああ、ありがとう。何だか水の中で水中眼鏡を掛けたみたいだ。」
 何だか良く分からない例えだが、まあ良く見えるということだろう。
「マースもね、喜んでいると思うの。だって、これからは」
 受け取った眼鏡を収納するケースの蓋の内側に、何か文字が掘り込まれているのが見えた。


“あいつとの約束を守るんだ。絶対に!  マース・ヒューズ”


「一番近くで、ロイ君を助けることができるんですもの。」


 ロイは一頻り懐かしい親友の文字を眺めてから、軍服のポケットに仕舞い込んだ。
 彼が親友に見せる特有の笑みを湛えて。

「何だかすがすがしいなぁ。字が嘘のようにくっきり見えるよ。えーっと、8時から会議に…」
 ロイの動きが止まる。
「…会議…?」
 ごそごそと胸ポケットの銀時計を取り出し、蓋を開ける。
「……8時…??」
 恐る恐る、文字盤を覗いてみると…。
「ギャーーーーー!! あと15分ーーー!!!」
「ええ。ですからお急ぎください。車を待たせてあります。」
「あらあら、大変。」
「えー?行っちゃうのー?」
 閑静だったその場所は、一変して賑やかになった。
「す…すまないグレイシア、またゆっくりできる時に!」
「ええ。遅れないようにね。」
 慌てて駆け出すロイ。一礼してからその後を追うホークアイ。
 遠くから二人を呼ぶ声が聞こえる。車を待たせてあると言っていたから、銜え煙草の少尉さんだろうとグレイシアは思った。
「ふふ…今度来るときのために、ロイ君の好きなアップルパイでも焼いておこうかしらね。」

 賑やかになったのはその一瞬だけで、そこはすぐに元の静かな空間に戻った。
 なんだかそれが寂しい気がして、エリシアは父親の眠る墓石を振り返る。
「あ…」
 小さく喫驚して、その顔に笑顔が満ちていった。


 どこかで彼が、『相変わらずだ』と笑った気がした。



2005/04/20
アニメ終了後の妄想です。隻眼だから色々大変だろうと。いまだにエリシアちゃんの一人称が分かりません。
英語は信頼しないでください(誰もしないか…)。英語は大の苦手です。文法・スペル間違ってるようなら遠慮なく教えてください。
2011/12/17気恥ずかしいので英語削除しました……。

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