鋼の錬金術師

小さな約束


「エリシアはね、“ふぁーすとれでぃ”になるの!」
 マース・ヒューズの愛娘が無邪気に放った一言に、親友宅へ立ち寄っていたロイは「最近の子は難しい言葉を知っているのだな」と微笑ましく感心し、父親はエリシアを膝の上に乗せたまま凍りついた。

「ダメだーーー!ファーストレディだけはダメーーー!!」
 今にも泣き出しそうな勢いで我が子をひしと抱き締め、ひげを嫌がっているのに気付いているのかいないのか、じょりじょりと頬擦りを繰り返した。「パパのおヒゲいたーい」という抗議さえ届いていない。
 そんな子煩悩丸出しな親友の姿には慣れたとはいえ、やはり苦笑を禁じ得ない。
「子供の言うことにそんな目くじらを立てることはないだろう。べつにあの還暦眼帯ヒゲオヤジに嫁ぐとは言っていないのだから。」
 「大人げの無い父親だな」とエリシアに同意を求めると、よく分かっていないのかそれでも「ねー」と小首を傾げて子供らしく答えた。
 ヒューズは何言ってんだ、と二人の和やかな雰囲気に割って入り、

「未来の大総統にはお前さんがなるんだろ、ロイ!」

 目に入れても痛くない愛娘と、それこそ一生をかけて支えていこうと決めた親友のやりとりを楽しげに眺めながら莞爾と笑った。
「ヒューズ…。」
 そんな曇りの無い笑みにつられ、ロイも自然とはにかむように微笑んだ。

 いつ何時でも、この気さくでお節介な男はロイを助け、支えてくれる。
 戦場のど真ん中だろうと、世知辛い軍での世渡りだろうと。
 月並な言い方ではあるが、彼がいなければ今のロイはありえなかっただろう。
 ヒューズと出会い、唯一無二と言っていい関係を築けた果報を、ロイは静かに噛み締めた。

「てなわけだから、お前さんに娘はやらん!」

 淡い友情の確認に浸っていたロイを、一気に現実へ引き戻した。
「…そんな心配、今からしてどうするんだ…。」
 大真面目な顔で言われては、苦笑を通り越して脱力感に見舞われる。
 当の本人はエリシアと向き合い、
「エリシアちゃんはパパと結婚するんでしゅよねーv」
 締まりの無い表情で、赤ちゃん言葉全開にのたまう。
 知り合った当初から家族思いの良い父親になれるだろうと思ってはいたが、今現在現実のこの姿を見ていると、呆れを飛び越えてこちらが恥ずかしくなってくる。

「ヤ!パパとはけっこんしない。」

 エリシアに即答され、再びヒューズは固まった。
「パパはママとけっこんしてるから、パパとはしないの!」
 重ねて告げられた言葉にヒューズの「大きくなったらパパと結婚するーv」とわが子と語り合う夢は脆くも崩れ去った。
 ここは親友としてがっくりと項垂れる彼の肩の一つも叩いてやりたい所だが、あいにく憐れみよりも笑いがこみ上げてきて、ロイは噴出さぬよう必死だった。
「だから、ロイお兄ちゃんとけっこんするの。」
 更に打ちひしがれ、いじけ始めるヒューズの腕から抜け出して、エリシアはロイの隣にちょこんと腰掛けた。
「それは光栄だ。でも私はまだ大佐の身でね。エリシアはファーストレディになるのだろう?」
 おどけて問うと、
「えっとね、それじゃあファーストレディになったら、ロイをおむこさんにしてあげる!」

 ――それでは重婚になるぞ、エリシア…。

 どこかずれたツッコミを心の中で入れていると、グレイシアがお茶とアップルパイを持って入ってきた。
 盆をテーブルに置くと、エリシアもグレイシアを手伝って皿とカップを配り、満面の笑みでアップルパイにかぶりついた。
 そんな娘の姿を微笑ましく眺め、気落ちした風の夫を見、苦笑する。
「エリシアったら、覚えた言葉を所構わず使うのよ。意味はわかってないのよね。」
 何があったのか大体察し、くすくすと含み笑った。
 エリシアは思い出したように一旦食べるのをやめてロイの袖を引き、
「ダメ?」
 と、まるでおもちゃを強請るように軽く首をかしげた。
 そういえば遠回しに仄めかされたことは幾度かあっても、こうも直球に求婚されたのは初めてだなと思い至る。
「まあ、あと10年くらいしたら考えさせてもらうよ。」
 ティーカップに口をつけつつ苦笑い交じりに答えれば、エリシアは太陽がはじけたように喜色満面に笑みを浮かべ、

「じゃあ、約束!」

 言うが早いかロイに飛び付いてキスをした。
 呆然と大人三人取り残され、エリシアはアップルパイの続きを食べ始める。

「エリシアちゃんのちゅーを返せぇえぇえええ!!」
 ヒューズは我慢の限界値を超え、ロイに襲い掛かった。
「何言ってるんだ!離れろ気色悪い!!」
 あいにく発火布は脱いだ上着の中で、ロイは力ずくでヒューズを押し返そうと躍起になる。
 レンズの奥の慳貪な瞳が、そしてヒゲがロイに迫る…。

 男衆は騒ぐにまかせるとして、グレイシアはエリシアに「やたらとしてはいけないわよ」と注意すると、
「パパとママはいつもしてるよ?」
 そう言って子供の純粋さで大人を返答に詰まらせ、赤面させたのだった。


 それはとても小さな、けれど確かに交わされた約束―――。



2006/01/22
2011/12/17幼児攻め万歳。

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