鋼の錬金術師

夏の日、冷涼の地で


 その地は夏でも涼しく、避暑地として人気の地域だった。
 アームストロング家はセントラルでも有数の名家で、幾つか所有する別荘の一つがその地にあった。

 綺麗に晴れた空。白い雲がよく映え、子供が外ではしゃぎ回るには絶好の日和。
 そんな中、少年は一人本を読んでいた。小高い丘の上の、木漏れ日溢れる木の下で。
 分厚いその本は、大の大人が読んでも理解出来るか分からないような内容の本で。
 その本を少年は、まるで小説を読むかのように読み進めている。
 年の頃は8才前後。
 しかし、体格はその年代の子供に比べて並外れて大きい。中等科学校に通っていても違和感はないだろう。
 彼はアレックス・ルイ・アームストロング。アームストロング家当主、フィリップの子息だった。

 涼しい風が、毛先にくせのある金髪を撫でる。
 本のページをめくる音が、アレックスには大きく聞こえた。
「………?」
 自身が持つ大きな本の影に、何か黒いものが目に映る。

 ――…ネコ…?

 …にしては耳が無く、どう見ても人の頭で。本をずらして、そこにいる影を確かめる。
 小さな、それこそ学校にも通っていそうにない、幼い子供だった。
 その子供は真っ黒な大きな瞳でアレックスを凝視している。
「…えっと…」
「れんきんじゅつのご本だね。」
 何を言おうか逡巡するアレックスに、子供は愛らしく小首を傾げて笑いかけた。瞳と同色の髪が、さらりと揺れる。
 その愛らしさに見とれて、聞き逃すところだった。
「…分かるのか?」
「うん。なんとなく。」

 子供はいつの間にか…という表現はおかしいが、ごく自然に、気付いたらアレックスの膝の上に収まっていた。
 胡坐をかいた上にちょこんと座る姿は、どことなく子猫を連想させた。
「アレックス・ルイ・アームストロングだ。」
「アレ…ク…?」
 名前を問われ一応フルネームを言ってみたが、錬金術の本であることを見抜いたとはいえ、まだまだ子供である。覚えろと言うほうが無理な話だ。
「…女の子がそんな風に足を広げて座ってはいかんぞ。」
 育ちのいいアレックスには気になることだ。
 子供の表情はむっすりとむくれ、余計なお世話だと言われるのかと思えば、
「おんなのこじゃないもん。僕はロイっていうの。」
 と、二度に渡りアレックスを驚かせたのだった。

 アームストロング家は名家であるため、アレックスは子供ながらに己を律してきた。
 両親も姉たちも優しいが、唯一の男の子供であることからいらぬ期待を持たれるのも無理はない。
 お家騒動に発展するよりはいいが、その重圧がアレックスから子供らしさを奪っていた。
 この地に来て少年は子供の無邪気さに触れ、久しぶりに相応な笑顔を浮かべた。

 日が傾き始めたのに気付いたのは、ロイの方だった。
「おーい、ロイどこだー!?」
 二人の耳に、少年の声が聞こえてきた。
「あ、マースだ。」
 見ると眼鏡をかけた利発そうな少年が、辺りを見回しながら歩いてくる。ロイを探しているのだろう。
「ああ、こんな時間か。そろそろ帰らねばな…。」
 日の高さで大体の時間を推察したアレックスが呟いて、ロイが膝の上から立ち上がった。
 とことこと走り出し、振り返る。
「じゃあまたね、アレク!たのしかった!」
 ぶんぶんと手を振り、今度は振り返らずにマースと呼ばれた少年の許へ駆けていく。
 仲が良さそうに手を繋いで、マース少年が歩いてきた道を戻っていく。
「知らない大人についていっちゃダメだっていってるだろ」
「おとなのひとじゃないよ。マースの2コ上だって。」
「うそお!?」
 風に乗って聞こえてくる会話に苦笑して、アレックスも立ち上がった。

 二人は家に帰るのだろう。
 アレックスも帰る時間だった。
 家へ。――セントラルへ。
「……全く、アレックスだというのに…。」
「アレックス。」
 聞き慣れた声に、アレックスは振り返った。
「あまりに遅いから、探しに来てしまったわ。」
「すみません、母上。」
 非常に背の高い母親は、息子の表情が柔らかいことに気付いた。
「ふふ…何か楽しいことでもあったのかしら?」
 アレックスは母親の珍しいからかい口調にきょとんとし、そして顔を綻ばせた。
「ええ。とても…」
 ロイの去っていった道を仰ぎ見て、語りかけるように続けた。
「――楽しかった。」

 ――「またね」…か。
    次に“また”会えるとは限らないのに…。

 …だけど。


 夏の日、冷涼の地での話。



2005/03/06
25年くらい前の話になるのかな。アレックス君の初恋話でした。(違)
思わずマース少年もゲスト出演。(笑)…アレックスでかすぎましたかね…。

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