「…ふぁ?」
「お早うございます…って時間でもありませんがね。」
太陽が中天にさしかかろうかというころの、一人暮らしには少々広すぎる邸宅。
来客を知らせるチャイムに応じた家主の予想通りの反応に、ハボックは思わず頬を緩めた。
「大佐、今まで寝てたでしょう?」
ロイは「なぜ分かった」と寝惚け眼で背の高い彼を見上げ、寝癖のついた髪を揺らしながら首を傾げてみせた。
その様にハボックは苦笑を呈し、煙草の火をもみ消した。
「ま、そう言うことにしておきましょうか。飯つくりにきましたよ。」
中に通されて、勝手知ったる廊下をキッチンへと向かう。
二人の休日が重なる日は、たいていハボックがロイ宅へおもむいて二人ですごす。
もちろん“恋人と甘い一時を”が第一であるが、人が生きていくために必要な寝食の、特に“食”が欠如しがちなロイへの気遣いもあった。
「…これでも一度は起きたんだ。」
はっきりと覚醒してきたらしいロイが、言い訳がましく呟きながらハボックに続く。
「どうせまた二度寝したんで… あ、アンタまた朝コーヒーだけですませたでしょう?」
キッチンのシンクに放置されたカップを見て、ちらりとロイを睨むが早いか、さっそくスポンジを手に取って乾いたコーヒーを洗いにかかる。
シミになるかもしれないと考えながら、頭の片隅で所帯じみた自分に涙する。
朝食にトーストの一枚でも食べるよう叱りながらも、コーヒーを飲んで二度寝できるロイを見てカフェインの存在を疑った。
続いて昼食の材料を確認しようと冷蔵庫を開き、ハボックは目をしばたいた。
「……大佐、前に俺が来たときと中身が全く変わってないんですけど…。」
と言うより、前回きた時にはほとんど食材はあまらなかったため、冷蔵庫の中身は空に近い。奥の方にしなびたニンジンが転がっている以外は。
「そうだな…ここ二週間ほど冷蔵庫に触れた覚えはないな。」
あっけらかんと言い放つロイに、ハボックはがっくりとうなだれて人参をゴミ箱へ放った。
「しょうがない。買い物がてら昼飯は外で食いますか。夕飯は俺がつくりますから。」
「わかった。」
一つ頷いて着替えに行くロイを見送って、ハボックはこっそりと溜息をついた。
ランチタイムのピークが過ぎた頃、人気もまばらになってきた大通りにある食事処に二人の姿があった。
さすがに空腹だったのか、本日はじめてのまともな食事にロイは舌鼓をうった。
――これがあの“焔の錬金術師”ねぇ…。
パンをかじりながら私服姿のロイを盗み見る。
今日は晴天で暖かいこともあって、Tシャツの上に一枚長袖の薄いシャツをはおっただけのラフな服装。
童顔で軍服を身に着けても年より下に見られがちだが、私服だと更にそれが際立つ。
もしも今、他人に「俺の後輩です」と紹介しても誰も疑わないと思う。
「それで、今夜はなにをごちそうしてくれるんだ?」
そんなことを考えているとは露知らず、食後のコーヒーを飲みながらロイがたずねる。
逆に何がいいかハボックが問い返すと「何でも良い」と言って、足りなかったのか角砂糖を一つ追加した。
買出しはこれからだし、ハボックの作れる料理もなかなか種類がある。
もともと一人暮らしで自炊していたこともあるが、ロイと良い仲になってから更に腕にみがきがかかった。
ロイに喜んでもらいたくて、自分の手料理を美味しそうに頬張る様が愛しくて…。
母親ってこんな気持ちなのかなぁ…と、とことん保護者気質な自分をたまにド突いてやりたくなる。
「あ、でも油っこいのはいやだ。」
「…あんた、何でも良いとか言いながらわがままっスね…。」
呆れながらも、そんなところがまた可愛いと思えるのを自覚しているから始末に負えない。
「んじゃ、シチューでもつくりますかね。」
たばこの煙のかわりに、飲みかけのコーヒーを一気にあおった。
「ジャガイモとニンジンと…、サラダもつくるか…」
市場の青果売り場で必要な野菜を反芻しながら吟味する。彼ならいつでも立派な主婦になれるだろう。
玉ねぎを手に取ると後ろからそでを引かれ、見るとロイが縋るような目で見上げてきた。
「…玉ねぎ、使うのか?」
「好き嫌いはだめっすよ。」
「私は玉ねぎを食べると貧血をおこすのだよ。」
「じゃあ、あんたの大好きなチョコを食うと中毒でも起こすって言うんすかねー。猫みたく。」
珍しくハボックに軍配があがり、ロイはむっつりと黙り込んだ。
おまけにその遣り取りを見ていた店のおばちゃんに玉ねぎを一つサービスされる。
見上げてくる瞳に絆されそうになるのをぐっとこらえた。
「むだな嘘をつくからですよ。文句言わずについてきてください。」
気さくなおばちゃんに手を振って煙草に火をつけ、むくれながらもぽてぽてとついてくるロイを確認する。
「えーっと、あと肉屋行って、それから牛乳とバターと…いちおう玉子も買っておくか。」
精肉店につく前にたばこの一本も吸い終わるだろう。一応、店の中では吸わないよう心がけている。
歩き煙草もなんとかするようロイから言われているが、こればかりは今のところ如何ともしがたい。
「小麦粉くらい家にありますよね?」
ロイに確認しようと振り返って見るも、そこには誰もいない。
辺りに視線をめぐらせてみる。
「…大佐ー。 ローイ! マスタングさーん?」
一通り呼びかけてみるものの、それなりに賑わう市場の雑踏にハボックの声はかき消される。
「29にもなって迷子かー!! 大佐ーぁ!!!」
人目もはばからず叫び、買い物袋を抱えなおしてハボックは駆け出した。
嗅ぎなれた煙草のにおいが消えていることに気付いて、ロイは足を止めた。
玉ねぎをどう回避しようか考えていて、前を歩いていたハボックを見失った。
くるりと見回して大きな背中を捜す。そして腕を組んで溜息をついた。
「まったく仕方の無いやつだ。ついてこいと言った方がはぐれてどうする。」
常人とは違う錬金術師の思考回路は、やはり斜め上の結論を導き出した。
「…それにしても、ここはどこだ?」
もう一度あたりを見回してみるが、めったに市場になど足を運ばないロイである。見覚えがあろうはずがない。
それでもここは自分が所属する東方司令部の管轄内。どうにかなるさと前向きに考え、あたりをつけて足を進めた。
「…おかしいな…。」
トボトボと歩きながらロイはひとりごちる。
歩けば歩くほどに人気がなくなっていく。
にぎわいを見せる市場を通り抜け、いつのまにか閑散とした工場地域を歩いている。
人に道を聞こうにも、休日ということもあってか、人影どころか機械の作動する音すらもない。
――これはもしや迷…
浮かんできた考えを、そんなはずはないと一人頭を振って否定する。
だが、さしも図太いロイも市場を離れるべきではなかったと思い始めていた。
いっそのこと発火布を擦ってハボックに居場所を知らせてやろうか。
だが何も無いときに焔をつかうと、後々めんどうなことになりそうでもある。
某将軍にぐちぐちとつつかれるのはごめんだ。
「うわっ…!」
あれこれ悩んでいるあいだに曲がり角で誰かにぶつかり、しりもちをつく。
一瞬ハボックかと期待したが、人生そんなに甘くはない。
「おぉー…いってえ!やべぇ、折れた!腕折れた!」
「兄ちゃん、連れの治療費と慰謝料と賠償費もらおうか。」
一見してごろつきの類と分かる三人連れの一人が、わざとらしく腕を押さえた。
いまどき当たり屋をきどるとは、胡散臭いやら面倒やら物珍しいやら。
とんちんかんなことを要求してくるのを聞き流しながら、
――これはやはり正当防衛にあたるだろうな。
あくまでも冷静に判断する。
何故一般人相手に錬金術をつかったのか。―複数人に囲まれ、身を守ることができないと判断したため。
事実、形の上では壁を背にしっかりと囲まれている。
何故休日にこんなところにいるのか。―休日とはいえ、治安を守る者として街の様子が気になったため(大嘘)。
このあたりはハボックに口裏をあわせてもらおう。
――よし。とりあえず言い訳はできる。
ロイは内心黒い笑みを作る。
「…兄ちゃん、ちょっと付き合ってもらおうか。」
うんともすんとも言わないロイに焦れた男の一人が、肩に手をかけてくる。
ポケットの中の発火布を手に取った、その時
「おい、てめぇら。誰にタカってんのか分かってんだろうな」
大きな影があらわれて、嗅ぎなれたにおいが戻ってきた。
ロイを取り囲むうちの一人を蹴り飛ばして、ロイを背にかばう。
「よくここが分かったなハボック。」
「ったく、そこらじゅう捜しましたよ。」
よほど走り回ったのか汗だくで、肩で息をしている。
両手は買い物袋でふさがっており、ロイを捜しての聞き込みのついでに買い揃えたことがうかがえた。
「な…何だってんだてめえは!」
長身でガタイの良い買い物袋を引っ下げた男の登場に、男たちの動揺は隠しようがない。
「ええい、静まれぃ!このお方をどなたと心得る!」
走り回ってテンションの高いハボックが突然叫んだ。
本当に突然のことに男たちはおろか、ロイもその場にかたまった。
そんな周りの空気など読み飛ばしながらハボックは続ける。
「ここにおわすはイシュヴァールの英雄・焔の錬金術師、ロイ・マスタング大佐にあらせられるぞ!!」
どこかで聞いたような口上を述べる彼に、脳に酸素が行き渡らなくなったことの弊害だろうかとどこか不安になりながらも、とりあえず常時携帯している銀時計をかかげてみる。
印籠係といえば格さんだが、あいにく格さん役のハボックは両手がふさがっていた。
「は…ははーっ! …ってなんでじゃあ!!」
「言うだけなら誰にだってできるだろうが!!」
見事なノリツッコミを見せてくれたトリオに、これでハボックも少しは浮かばれるだろうと投げやりに感謝しつつ、そりゃあ普通は疑うよなぁ…と納得する。
ハボックの登場から握りしめたままだった手袋をはめ、指を鳴らした。
軽快な音の数だけ、ロイからしてみれば小さな焔が生まれて三人の前髪を焦がし、そしてすぐに消えていった。
「…本…物?」
一瞬のことながら、何も無い空間にあらわれた焔に男たちは呆然と立ちすくんだ。
「さて、どうしてやりますか大佐?」
すっかりハイなハボックが嬉々としてロイに訊ねる。
よく見ると新しい煙草を吸っている。両手がふさがっているはずなのに無駄に器用なことだと感心しつつ、
「放っておけ。」
それだけ言うと、三人の男に背をむけて歩き出す。
一瞬呆けていたハボックがロイのあとに続き、「何故」と三人の思いを代弁する。
非番とはいえ、大佐階級の軍人を脅迫したとあってはただではすまい。その大佐があの“焔の錬金術師”では、なおさら。
「べつに何かをとられたというわけでもない。それにこれでまた舎弟が増える。」
後半は独り言のように呟かれてハボックにもあまり聞こえなかったが、背筋を駆けた薄ら寒いものは何だろう。
振り返ってみると、三人の男はロイに深々と頭を下げて立ち去るところだった。
――なんて人だ…。
ハボックと男たちはそれぞれ違った意味で、胸の内につぶやいた。
「…大佐、俺は休日でこんなに疲れたのは初めてですよ…。」
いつものテンションに戻ってきたハボックに、ロイは「そうか」といつもの調子で答えた。
そしてハボックの抱える買い物袋を見ながらたずねる。
「他になにか買うものがあるのか?」
「あー、あらかた買ったんで、あとはパン屋に行くだけっすね。」
「じゃあ、早く買って帰るぞ。」
「Yes,sir」
おどけて言うハボックに、ロイは何か思い出したように立ち止まって振り返った。
「今度は、はぐれるなよ。」
「…あんたって人ぁ…。」
得意気な笑みを浮かべて歩き出すロイに気を削がれつつ、笑いがこみ上げてきてハボックはロイを呼び止めた。
何事かと振り向くロイに告げる。
「そっちにパン屋はありませんよ。」
夕食時、ハボックの作った料理を食べつつ議論が白熱していた。
「だから、それを迷子って言うんですって。」
「あれはお前が私からはぐれたんじゃないか。」
今日の迷子を頑なに否定して譲らないロイに閉口しながらも、シチューに玉ねぎが入っていることなど忘れているように食べているのを見て、ハボックはどことなく勝ち誇ったような気分に浸っていた。
「今夜、泊まっていってもいいですか?」
「だめだと言っても泊まっていくくせに、そんなことを聞くな。」
その日の部屋の明かりは早々に消えて、ハボックとロイの休日は締めくくられる。
2006/05/28
水戸黄門大好きです(笑) 飛猿とか弥七とか