鋼の錬金術師

Side : Roy


 頭がぼんやりする
 何かしなければならないことがあったはずなのに
 …なんだろうこの、悲しい気持ちは――。



「あ。」
 見覚えのある、影のような立ち姿。
「強欲の!」
 傍に駆け寄ると、こちらに気が付いた彼は丸いサングラスを外しながら軽く手を振った。
「そちらから来るなんて珍しいではないか。」
 いや、むしろ初めてのことだ。
 いつもこちらから会いに行っていたのだから。

「…すまねーな。」

 いきなり謝られる。
 何のことかと首を傾げたら、自嘲的な笑みを浮かべた。
 そんな表情も、初めて見た。彼はいつも自信に満ちていたから。

「約束、な。守れねぇんだ。」

 そう言って、肩を竦めた。
 そんな所はいつも通りなのに、その自嘲の表情は崩さぬままで。
 先程から感じる違和感は何なのだろう。
 そして、この不安に打ち騒ぐ感覚の、既視感。
 どこかで…そう遠くない過去に――。

 ……約束?
 どれのことだろう。
 探しておいてくれると言っていた本が見つからなかったのだろうか?

「地獄の業火ってのは、どんな色してんだかなぁ。」
 くつくつと笑いながら、そんな柄にも無いことを言う。
「先程から訳のわからないことばかり言って…。私をからかってそんなに楽しいか?」
「楽しい。」
 きっぱりと即答される。
 嘘を吐かないことを信条にしている彼らしい。

「この世の全てが欲しかった。金だろうが女だろうが、永遠の命だろうが…な。」
 唐突に紡がれる言葉。
 脈略のない台詞に怪訝の表情を隠さずにいると、苦笑される。
「“Greed”それが俺の本質だからな。」
「強欲…の?」
 増していく、不安感。
 それを払拭してくれるかのように、ウロボロスの印が刻まれた左手に頬を包まれる。

「でも、その多くの“全て”よりも、唯一無二の存在であるお前が欲しかったんだ。」
 愛しげに頬を撫で、髪の流れを覚えるように何度も梳いた。
「全ての中の、只一つ。ロイという人間が…。」
 ふわりと、漂う羽根でも捕えるように抱き寄せられる。
 確かにその腕の中にいるのに感じる、虚無感。

「…グリード?」
 現実味の無さが、無性に恐ろしくて。彼の名を呼ぶ。


「          」


 耳元に、彼の声が囁いた。


* * *


 ドサドサッ

「……ったぁ…」
 崩れてきたファイルに、ロイは容赦なく叩き起こされた。
 ファイルをかき分け、硬い床から身を起こす。
「眠っていたのか、私は…。」

 ――寝ている暇など、ないというのに…。

 ぼんやりと頼りなさげに照らす書庫の照明を見上げ、目を細めた。

 親友が殺されなければならなかった理由。
 彼の最期の言葉と僅かながらの情報を頼りに、必ず犯人を燻り出してやると誓った。
 うっすらとだが疎らに伸びてきた鬚を撫で、たかが二日や三日の徹夜でくたばってたまるかと頬を叩く。

「……っ!?」

 待っていたかのようによみがえる、頬を包む手のひら。
 そしてそれ以上の不安感、やるせなさ。
 それは、親友を失ったときの感覚に似て。
 抱き締められた感触など、微塵も残っていなくて…。

「…うそつき。」

 無意識に呟かれた台詞に、首を傾げる。
「“うそつき”…って、何が? …夢…?」

 ――どんな…夢だっけ…?

 ただぼんやりと、赤紫の瞳が悲しげに細められたのを覚えている。

 ――グリード…?

 思い出そうとしてさらに首を傾げると、途端に頬を涙が伝い落ちた。
「え…?な…何で?」

 意味が分からず、戸惑う。
 止まらない涙。忘れてしまった夢。背筋がざわざわする感覚。
 ただ漠然と、覚る。
「…どうして…っ」


 もう、強欲な彼に会える気がしない


 ロイは知っている。この感覚が自分を裏切ることはないと。
 たとえそれが、自分の望まぬものであったとしても――。

「どうして…!!」
 自分の身体を抱き締める。
 信じることのできるこの感覚。しかしそれに押しつぶされては意味が無い。
 それでも、やはり自分の腕なんかじゃ、効果はなくて。
 それを知っているから、震えは止まらなくて。
 何故そんなことになるのか、事情も経緯も分からぬまま。
 ただ覚ってしまった説明のつかない己の六感を、無駄と分かりながら否定する。
 薄暗い資料室の中うずくまる。

 雨だと言い訳もできない自分を滑稽に思いながら、別れ際交わした会話を思い出していた。

 それは二人にしてみれば他愛も無い、他人からしてみれば些か子供じみた会話。
 「永遠の命を手に入れる」そう言った彼に「そんなものあるはずがない」と反論した。
 「ありえないなんて事はありえない」彼特有の持論で返される。
 「なにもかもを手に入れてやる」と豪語され、呆れて「わがままな子供のようだ」と言うと軽く額を小突かれた。
「永遠の命の法が分かったらロイにも教えてやるから、楽しみにしとけ。」
 「期待しないで待ってる」そう言って笑い合ったのを、覚えている。


『嘘を吐かないって信条にしてたのにな…。』


 忘れられた夢の中。
 確かに謝罪と別れの言葉を、耳元で囁かれた。



2005/11/13

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