単純に、すごいと思った。
「大総統が人造人間とつながっている可能性も有りか?」
地図を広げながら病室で交わされる、不穏当な会話。
こんな発言を他人に聞かれようものなら、不穏分子とみなされても文句は言えない。
「でも…ダブリスで人造人間一味を掃討したのは大総統が率いる部隊だった。少佐も一緒に戦ってるよ。」
「グリードという人造人間一味を軍の中枢に害なす輩とみなして掃討したと?」
車内でアルフォンスの口からグリードの名が出た時は、さすがにうろたえて事故を起こしそうになった。
でも今は、顔色を変えずに言ってのける。
おそらくホークアイですら、彼の奥底に渦巻く戸惑いには気付いていないだろう。
彼は感情を押し殺す術を知っているから。
――非情になりきれるんだろうな…。
他人にはもちろん、…自分にさえも。
脳裏に、短い間だが確かに同じ時間を分かち合った“ソラリス”の姿が去来する。
ハボック自身、未だ頭の中がグルグルしていた。
深い関係でも甘い交わりもなかったが、向こうはこちらを利用していただけだと知っても、彼女は恋人と呼べるものだった。
“ホムンクルス”
自分たちと、敵対する相手。
グリード自身が人造人間で、大総統によって掃討された。
そして、人造人間がヒューズ准将の死に関わりがある上に、軍の上層部と繋がっている可能性がある。
「この国を一気に駆け上がる事ができる。」
皮肉すぎる事実を、戸惑いを押し込んで、野望という熱で誤魔化す。
それでも、迷いの無い真っ直ぐな目。
かりそめの恋人はその目が好きだと言ったそうだ。
ハボック自身も一見冷たく見える眼に宿る、あの激しい焔が好きだ。
ロイは内心を気取られないように、何も知らないよう、初めて知ったように振舞う。
そんな彼に、ハボックは更に過酷な現実を告げた。
* * *
ぎしりと、ベッドが軋む音で目を覚ました。
時間はまだ夜中だろうか。月明かりがおぼろげに、けれどしっかりと室内を照らす。
ベッドが傾いた方へ目をやると、薄暗闇の中さらに深い闇色の瞳とかち合った。
「…起こしてしまったか。」
「いえ、どうかしました?」
訊ねても返事は無く、珍しくロイは言い難そうに視線を泳がせた。
逡巡しながらも、口を開く。
「…抱き付いても、いいか?」
「……は?」
想像していたどの台詞とも違っていて、思わず間の抜けた声が出た。
しかし、ロイには冗談を言ったような雰囲気など無くて。
非情になりきれるのに、やはりどこか脆くて…。
「…どうぞ。」
取り敢えず、両腕を軽く広げて迎え入れる。
ロイは自分で言っておきながら数瞬躊躇っていたが、ハボックの首に腕を回し、覆い被さるようにしがみついた。
ハボックの胸に押し付けるようにして顔を埋めると、艶やかな前髪が首をくすぐった。
――こんな風に大佐に触れるの、初めてだな…。
ハボックはそのロイの背に手を添える。思っていた以上に薄い背中に、泣きたくなった。
今のロイには縋れる人間がハボックしかいなかった。
グリードの存在を知り、その関係を認めていた、ハボックしか。
「――あいつは、もういないんだな…。」
しばしの沈黙の後、ふいに呟かれる。
ロイの言う、“アイツ”。
少し前までならヒューズのことをさしていただろう。
しかし今言う“アイツ”が、あのグリードのことであることは容易に察せられた。
未だに、信じられないのかもしれない。
でも確かにアルフォンスはグリード一味を掃討したと言った。
ハボックの眉根が、寄る。自分の中の、知らない感情が疼きだす。
「どいつもこいつも…何故私の前からいなくなる…。」
ロイの独白にも似た、呟き。それは、誰に言っているものなのか。
――バカじゃないのか、俺は…!
知らなかったのではない。目を背けていただけだった。
ロイの気持ちが、自分には向けられていなかったから。
自分の欲するロイのその感情は、グリードのものだったから。
自分の気持ちを、親心なんだと誤魔化してみて。
飾り気の無いロイの患者服を、握りしめる。
一層強く、胸の上にいる背中を抱き締めた。
――こんなに、大佐のこと好きなんじゃないか…。
「ハボック…?」
その腕の強さに気付いたロイが顔を上げて不思議そうに問いかける。
何の返事も無いことに首を傾げたが、観念したようにハボックに身を任せた。
「…ハボック、お前も…私の前からいなくなるのか…?」
自責の色を含んだその台詞は、確かに自分へ向けられたもので。
ハボックは蒼穹の双眸を見開いた。そして、すぐに細められる。
これほどまでに彼を守りたいと思ったことはなかった。
けれど、今となっては彼を守る力は無く、思うようにならない自分の脚を呪った。
腹の傷が、無能と罵るように疼く。
己の想いを口にできぬまま、ハボックはより一層ロイを抱き締めた。
2005/12/17