鋼の錬金術師

等価交換


 東方司令部の一室で、エドワードはどっかりと行儀悪く机の上に腰掛ながら、にんまりと人の悪い笑みを浮かべて目の前に座る部屋の主を見遣った。
 礼儀正しい弟に窘められるも、僅かに見下ろす視界が新鮮で、滅多に見られない相手の上目遣いを眺めて優越感に浸る。
 対峙するロイはその視線をまっすぐに受け止めて、困っているのかいないのか、無表情に近い顔でエドワードを見上げている。
「で、他人に面倒事を押し付けておいてそっちはだんまり?」
「そうは言っても、君たちに必要な情報となると簡単にはな…。」
 口角を上げたエドワードに、ロイは眉間に皺をよせた。


 エルリック兄弟は彼らが犯した罪の清算のために、賢者の石を求めて各地を旅して回っている。
 それはただ闇雲にさまよっているわけではなく、高名な錬金術師の許に赴いたり、錬金術が絡んでいそうな事件を確かめに行ったりと、不確かながら目星を付けて放浪していた。
 そしてその殆どの情報源は東方司令部の大佐であるロイからのものだった。
 ロイはエルリック兄弟の事情を知り、彼らにとって得難い理解者ではあるが、彼とて情報を提供するのはただの親切心からという訳ではない。
 東方司令部を動けないロイの代わりに彼の目となり耳となり、地方の情勢を伝えたり、時には犯人を捕まえて事件解決に一役買うこともある。
 さらに、軍属のエドワードは軍から指令を受けることもあった。
 持ちつ持たれつ。錬金術で言う“等価交換”のような関係でお互いの利益を交換していた。

 エドワードはロイからの“頼みごと”を片付けて戻ってきたわけだが、今回ロイが差し出す情報が品切れになっていた。
 ただでさえ錬金術師は秘密主義だ。自分が編み出した術が外に漏れないように、ふとした思い付きさえも独自の暗号で書く。
 その上“賢者の石”のようなアンダーグラウンドなものの情報など、そこらに転がっている方がどうかしている。
 地方で事件など腐るほど起こるが、この手の情報となるとロイでさえ難しいものがあった。

「オレは貸しにしてやってもいいぜ?いつか大佐に返させる瞬間を想像するとゾクゾクするなー」
「それだけは嫌だ。」
 互いにどのようなシチュエーションを想像しているのかは本人のみぞ知るところだが、極悪人の笑みをこぼすエドワードにロイは即答した。
「ならばこうしよう。“私が君の言うことを一つ聞く”というのはどうだ?」
 少し考え、そう切り出した。
 ロイは貸しや借りをつくることもそうだが、それをそのままズルズルと引き摺るのを嫌った。
「借りっぱなしは嫌だっての? よし乗った!」
 エドワードも乗ってきて、ひとまずロイは胸を撫で下ろした。
「かと言って、あまり無茶なことは勘弁してくれたまえよ。そうだな…食事でも奢ろうか?」
 身長にそぐわず大食漢なこともあり、無難なところを提案する。
 国家錬金術師の資格を持ち少佐階級に相当するとはいえ、軍属にすぎないエドワードが大佐階級の人間から食事に誘われるのは凄いことなのかもしれないが、残念ながらエドワードの食指は動かなかった。
 ロイに言うことを聞かせるチャンスなど滅多にあるものではない。幾度となく煮え湯を飲まされてきた雪辱を果たす機会でもある。どうせなら自分も楽しいほうがいい。
 錬金術師としての柔軟な思考を無駄にフル回転させ、顔を上げた。

「猫耳猫尾に赤リボンの鈴…てのはどう?」

 その一言に業務をこなしていたホークアイとハボック、そして兄の傍らに控えるアルフォンスが凍りついた。
「もちろん黒だぞ。」
 悪代官を思わせる笑みを貼り付け、トドメの一言を告げる。
 当の本人は見当違いのことを言われてきょとんとしていたが、
「好きな女の子にでも贈るのかね?変わった趣味だな…。」
 こちらも的外れな返事をする。
 それを自分に買いにいかせようとしていると思っているようで、ロイ自身が着用するとは露ほども思っていないらしい。
「寝惚けんな。アンタが装着するに決まってんだろが。」
 軽くずっこけながら三白眼を細めて突っ込む。しかし“趣味”を否定しないあたり彼の嗜好が垣間見える。
「じゃ、次に来るときまでに用意しておけよ大佐。」
 ロイの返事も聞かずに退室し、我に返ったアルフォンスが慌てて後を追った。
 エドワードの「カメラ屋はどこだっけか」という声にアルフォンスの咎める声が聞こえたが、
「アルも隙だろ、猫。」
 それっきりアルフォンスの反論は聞こえず、エルリック兄弟の足音は遠ざかっていった。


「猫の耳に尾っぽ、それに赤いリボンと鈴か…。」
 ロイの呟きに、静寂に包まれていた部屋の時が動き出した。
「たっ…大佐、いいんスか!?ね…ネコ耳…ッ」
「なにをどもっているのかしらハボック少尉?」
 脳内でどんな妄想をしていたのか、挙動不審なハボックをホークアイは視線一つで黙らせる。
 ロイの方はそんなことで良いならやってやろうと、珍しく乗り気だった。
 小道具をどこから仕入れようか思いあぐね、おもむろに電話の受話器を取った。
「どちらにお掛けですか?」
「ん?グレイシアにちょっとな。」
 ホークアイが訊ねるとロイは親友宅の番号を回しながら答えた。
 本来、軍の回線を私用で使うべきではないが、その軍令違反の常習者である親友からひっきりなしに掛かってくるものだから、近頃はすっかりマヒしてしまっている。
 しかし何故ここでその親友の妻の名が出るのかが分からない。
 それをハボックが問うと、

「こういうものに彼女は詳しいからな。」

 同時に発信音が途切れ、女性の声がファミリーネームを告げた。
「グレイシア、今話しても平気だろうか?」
『あらロイ君!久しぶりね、エリシアも会いたがってるのよ。あ、私の方は大丈夫よ』
「聞きたいことがあってね。君が持っているあのネコの…」
『あの黒いの?』
 グレイシアは旦那の親友ということもあってロイとも仲が良い。
 ちなみにロイはグレイシアの作るアップルパイのファンだったりする。
 弾む会話を横目に、ホークアイとハボックはあのヒューズ中佐の愛妻への謎を深めていた。


 それからしばらくして、再びエルリック兄弟が東方司令部を訪れた。
 そして、ロイに会うなり開口一番、
「準備はできてるんだろうな、大佐?」
 挑発的な笑みを浮かべてのたまった。
 その挑発を受け取ったとでも言うように、机の引き出しから紙袋を引っ張り出して立ち上がる。
「無論だ。中尉、手伝ってくれたまえ。」
「私…ですか?」
 狼狽する周囲を尻目に、ロイはホークアイを伴って別室に消えた。
 そこで着替えるつもりなのだろう。閉ざされた扉を見詰めながらエドワードが呟く。
「何で手伝いが必要なんだ?…ってか、着替えを手伝わせるなら普通同性つれていかないか?」
「さぁ…大佐も中尉も結構変わりモンだし。そうだな…リボン結びが出来ないとか?」
 エドワードの呟きに、ハボックはいつもの茫洋とした銜え煙草でなんとなく返したが、

「それはそれでいいなぁ…」
「“結ぶ楽しみ、解く楽しみ”ってヤツか?」
「お、分かってるじゃないスか大将!」
「まーな。そういう少尉もイケるクチだな。」
 わきあいあいと偏った嗜好の話を始める二人を遠巻きに眺めながら、アルフォンスは彼らの話に流されそうになる自分を叱咤していた。

「待たせたな鋼の。」
 待望の声とともに扉が開いた。
 まず猫の耳を模したであろう三角の耳が目に入った。
 視線を下にずらすと襟元の鈴がリボンにくくられて揺れている。
 更に目線を下げてみると、尾てい骨のあたりから黒くて長い尾が垂れていた。
「これで良いのだろう?」
 と、得意気にロイが胸をそらすと小さく鈴が鳴った。
 各々の予想と違った姿に、一同は思わずロイを凝視する。
 ロイが着ていたのは黒い猫を模した着ぐるみ型の服だった。
 ネコの頭部がフードになっており、口の部分から顔を出す仕組みで。襟元から腹にかけてボタンの列が走っており、そこから脱ぎ着するであろうことが見て取れた。
 着るのを手伝ったであろうホークアイは、呆れた表情を見せながらもどこか和んだ表情を見せている。

「それ…何?」
「用途はパジャマらしい。グレイシアに贈ってもらった。」
 リボンと鈴は自分で買ったとのこと。
 その答えにエドワードは納得する。
 恐らくグレイシア、もしくは父親のマースが買った親子用パジャマセットの大人用の方だろう。
 仲の良い親子…エリシアとグレイシアが着てはしゃぐ様は想像するだけで微笑ましい。
 正直言って普通なら三十路手前の男が着るには可愛らしすぎる。

「なんだ、どこか不満なのか?」
 ここまでしてやったのに、と反応の薄いエドワードにへそを曲げ、ロイは頬を膨らませてみせた。
 はっきり言ってここまでノリノリに全身ネコ化してくれるとは思わなかった。いいところでネコ耳の付いたカチューシャ止まりだろうと。
 ロイの反応にエドワードのなかで“これはこれで良し”の心意気がふつふつと燃え上がっていく。

 エドワードはものすごい勢いでカメラの準備を始めた。



2006/03/26
多分、こんな感じ(笑)
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