「風邪を引きますよ。」

声とともに肩に触れた温もりにアランは振り返った。
そこには微笑みを湛えた、しかしどこか不満そうなパオラの顔。

「さっきも隣に立ったんですけどね。 やっと気付いてくれました。」

「すまない、まったく気がつかなかった。」

何の言い逃れもなく謝辞を述べるアランにパオラはより一層笑みを深くする。
その顔にはもう不満の色は見られない。
彼は少々不器用ではあるが、人一倍誠実であるところが好ましいのだから。

「一人で何を考えていたんです?」

「この戦争が終わった後のことを考えていた。」

気が早いと思うかと問われ、パオラは首を振る。いずれは考えねばならないことだ。
パオラ自身はマリア姫の行方や、ミネルバを救って姿を消したミシェイルのことなど
気がかりが多すぎて考えられるような心情にないのであるが。

「この戦争が終わったら、私は騎士を引退しようと思っているんだ。」

あまりに意外な言葉にパオラは目を丸くした。
彼のことだから騎士として生涯をアリティアに捧げそうなものなのに。
その顔色に気がついてアランは苦笑する。

「私の体のことは知っているだろう。
今は騎士団長を任されているが、いつ倒れるかも分からぬ身だ。
戦後に重要な役を任されて倒れでもしたら、それこそ方々に迷惑がかかる。」

すでにジェイガンとも話し合い、後任にはカインを据えると決めてあるという。

「退団したら、あの村で学び舎でも開こうと思っている。隣村との仲も気がかりだしな。」

珍しく冗談交じりに言って笑う彼の顔色は、月明かりも手伝って驚くほどに白い。

「でも、大丈夫なんですか?」

「心配しなくても、私の病は他人にうつるようなものではないぞ。」

「そうじゃなくて!」

声を荒らげるパオラを、アランは初めて見た。
その悲しい瞳の理由に気づかぬほど鈍感な男ではない。

「生涯、治らぬだろうな。 幼少のみぎり医者に宣告された。
それでも無理さえしなければ悪化することはない。
だから、やれるだけのことを、私にできることをしたい。」

固い決意を秘めたアランの言葉は、重い。

―――彼は騎士団長の務めを果たしながら将来のことまで考えている。
それに比べて、私は……。
私にできることは何だろう。
私は……

一陣の風が二人の長い髪をそよがせる。

―――私は、どうしたいんだろう。

「くしゅん!」

心とは裏腹に口から出たのは間抜けなくしゃみで、パオラは顔を赤らめた。

「だめだな、私は。こういうところに気が回らなくて。」

そう言うとアランは羽織っていたマントを広げ、パオラの肩を抱くように包み込んだ。
彼女のほうがよっぽど薄着だったのだ。
二人で一つのマントを使うのだから、自然と抱き合うような形になる。
その胸のぬくもりにほっとする。

「……私は、この戦いが終わったらマケドニアの復興につとめます。」

頭の上で息を呑むのがわかった。
顔を上げると残念そうな、それを押し殺し損ねたぎこちない微笑がある。
パオラはその不器用な顔にほほえみかけた。

「そしていつか、あなたの手伝いをさせてください。」

自然と口をついた台詞。一つの指針を定めると、ふっと心が軽くなった気がした。
先のとこは見えないけれど、そこに向かうためにどう歩けばいいか考えることができる。

「マケドニアが落ち着いたら必ず行きます。 だから、無理はしないでくださいね。」

パオラの肩を抱く手がきゅっと強まる。

「ああ、ありがとうパオラ。」

二人で一つのマントにくるまって、月を見上げた。

「一人より二人の方があたたかいな。」

アランのつぶやきに、パオラはうなずいた。

 

 

  

2009/10/11

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